日課になっている境内の掃除を終えて、自分の部屋の縁側で一休みしていた。
ふわりと吹く、春の風に微かに桜の香りがする。
その度に、土方さんと見た雨宝院の桜が思い出された。
満開の桜と舞う桜吹雪。そして、そんな景色によく映えた土方さん。
土方さんと桜を見に行ってから数日。
夕方の桜も――帰り道、そんな話をしたけれど、
朝から晩まで忙しすぎる人だから、きっと無理なんだろうと思っていた。

「残念だけど、仕方ないよね。」
「何がだ?」

突然聞こえた声に驚いて振り返ると、怪訝そうな顔をした土方さんが立っていた。

「えっあっいやなんでもないです!」

慌てて否定するとかえって逆効果だったみたいで

「ふーん?そう見えないが。」

と訝しげに返されてしまった。

「まあいいや。」

よかった。
今日はあまり深く追求されないようでちょっと安心。

「千鶴、今暇だよな?」
「あ、はい。」
「出かけるんだが、おまえもついてこい。」

今度は、思ってもない申し出に、びっくりした。

「私がですか?」

聞き返すと、土方さんの眉間に皺が寄った。

「ああ?他に誰がいるってんだ。いいから来い。」

言うだけ言うと、土方さんはくるりと背を向けて歩き出してしまった。

「あっはい!」

慌てて私は土方さんを追い掛けた。


どうやら土方さんの目的は、会津藩邸に書を届けることだったようだ。
今所用で出ている近藤さんの代理だって言ってたっけ。

「すぐ戻る。」

と言い屋敷の中に入った土方さんは、半刻ほどしてため息と共に戻ってきた。

「待たせたな。」

短く謝罪の言葉を口にして、またさっさと歩き出してしまう。

「いえ!」

急いで土方さんの隣に並ぶと、一仕事終えたからかどこかほっとしたような表情をしていた。
てっきり屯所に帰るのだろうと思っていたけど、土方さんは屯所への道とは違う方向へと歩いている。

「まだ他に行くところがあるんですか?」

不思議に思って土方さんに聞くと、

「まあな。行けばわかるさ。」

楽しげに笑って答えてくれた。

「まだ夕飯までには時間だあるだろ?」
「はい、時間は大丈夫ですけど…。」
「なら付き合え。」

もちろん、断る理由なんてない。
それに、土方さんと外出できるのは、やっぱり嬉しかった。

「はい!」

だから笑って答えたら、あまり見たことない綺麗な笑顔を向けられて、凄くドキドキした。
しばらく歩くと、見覚えのある景色が飛び込んできた。
忘れるはずない、数日前に土方さんと歩いた道だ。
この道は多分雨宝院へと続く道。

「土方さん、もしかして――…。」
「どうやらわかったようだな。」

間違いじゃない。
そうこうしてるうちに、雨宝院の中に入る。
沢山の桜は満開だった数日前より、散る花びらの数が多く、風に舞う様はまさに桜吹雪さながらで。

「綺麗・・・!」

それしか言えない。
舞う薄紅の花びらが、橙の夕陽に照らされている。
満開の桜の花が、橙の夕陽を沢山に浴びている。
明るいうちに見た前とは違う景色がそこに広がっていた。

「おまえ、見たがってただろ。」
「覚えててくださったんですか?」
「当たり前だ。」

土方さんの声が、少しだけむすっとしたように聞こえたから、
そっとその横顔を覗いてみると、目元が少しだけ赤いような気がした。
今は西日差す夕方だから、実際のところどうなのかはわからなかった。
でも、土方さんがあの時何気なく交わしただけの会話だろうに、
それを覚えていてくれたことが凄く嬉しくて、顔が綻んだままなかなかしまらない。

「ありがとうございます!」

だから正直に、笑いながらお礼の言葉を言ったら、
初めて見るような優しい眼差しで綺麗な笑顔を見せられて、心臓がうるさいくらいにドキドキした。

「そんなに嬉しそうにしてくれちゃ連れてきた甲斐があるってもんだ。」

それから、土方さんはもっと心臓がドキドキするようなことを言う。
もうその時には、いつもの土方さんの表情に戻っていた。

「でかける前におまえが残念だってつぶやいてたの、このことだろ。」
「っ?!」

言葉に詰まる。

「わかってらしたんですか。」
「まあな。桜の季節は短い。おまえが考えることはわかりやすいんだよ。」

ずっとこの時を楽しみにしていたのは本当だし、
もしかするともう季節が終わって見れないんじゃないかと思ったのも本当だけど、
それを当の本人である土方さんに気付かれていたことが、なんだか恥ずかしい。
それに――

「間に合ってよかったよ。」

そうまた綺麗に笑うから、見惚れてしまいそうで、でも、見てられなくなって、桜へと視線を動かす。
だからって頬が熱を持つのを止められなかった。

「普段、色々やってくれてるみてえだからな、さしずめそれの褒美ってとこだ。」

散り始めたとはいえ、まだまだ満開といえる桜の木は、橙の夕陽で少しだけ薄紅の色を変える。
同じように、はらりはらり舞い落ちる桜の花びらも、
揺れて向きを変えるごとに橙の夕陽を受けて、薄紅の色合いを変えてゆく。
薄紅一色ではなく、橙も混じったその色につける名前の色はない。
夜桜とも違うその綺麗な様を、
こうして淡いけれど想いを寄せる人と見れるのはとても幸せなことのように思えた。
そして、その人の気遣いが、隣で温もりを感じるくらいの距離にいるその人の存在が、
より夕桜を綺麗に見せてくれるんだと思う。

「ありがとうございます。」

その一言しか言うことが出来ない。

「見ることが出来て、本当嬉しいです。土方さんと見れてよかったです。」
「そうか。綺麗だな。」
「はい、とても。」

それから、土方さんに「そろそろ時間か」と促されて帰路につくまで
どちらも言葉を発することはなく、静かに夕方の桜を眺めていた。




「やっぱり、夕方の桜も綺麗ですよね。」

時は流れて、今見ているのは以前見た京の桜ではなく、そこから遠く離れた函館の桜。

「そうだな。」

まさかこうしてまた、
この人と夕方の桜を並んで見ることが出来るなんて、あの頃には思わなかった。
初めて土方さんと雨宝院の夕方の桜を見た帰り道、また見れたらいいなんて話はしたけれど、
間もなくして始まった戦で泡沫のように消えてしまっていた。
それに、とても想像が出来なかったかもしれない。
土方さんと共に暮らし、しかも、添い遂げる仲ととして暮らしているなんて。

「あん時のおまえはずっとにやにやしやがって。」
「とても嬉しかったですから。」

きっと今も、顔はしまらず笑っているのだと思う。

「また土方さんと見ることが出来て嬉しいです。」
「俺もだよ。時間はかかっちまったがな。」

二人で暮らすようになってよく見るようになった穏やかな表情をした土方さんが、
優しく私を見つめ返す。

「また千鶴と見れてよかったよ。」

あんまりにも愛おしそうに言うもんだから。

「おまえはあの時、また俺と見たいと言ってくれたが、
 俺も心のどこかではまたおまえと見れたらと思ってたんだ。」

温かな言葉をくれるもんだから。
嬉しくて嬉しすぎて、今土方さんと並んで夕桜を見ていることが
とてもとても幸せなことだと思えて、だから、言葉の代わりに涙が溢れてしまう。
一度は遠く離れたその背中。
ただ傍にいて、何かお役に立てればそれでいいと、必死に背中を追いかけていたあの頃。

「おまえは本当によく泣く。」

一人で泣かせはしないと、不器用ながら言ってくれたのはほんの少し前の話。
夜までここにいて春の月を浴びる桜を見ようと、二人桜の木の下寄り添って夜を待っていた。
土方さんの手が伸びて、そっと私の涙を拭っていく。
夜を待つ前に、京で作った数少ない思い出を思い出す、綺麗な西日と出逢ったのだ。

「すいません。」
「なに、かまわないさ。」

あの日、土方さんには内緒だけど、本当はとても泣きそうだった。
多忙を極める土方さんが、私との何気ない会話を覚えていて、連れて行ってくれたこと。
届かないかもしれないけれど、想いを寄せていた土方さんと見れたことがとても嬉しかったこと。
そんなことまで思い出したら、余計に胸が苦しくなって、余計満たされていく。

「千鶴、あん時も泣いてなかったか?」

まだ零れ落ちる涙を拭ってくれていた土方さんが、思い出したように聞いてきた。
土方さんにはばれてないと思っていたから、凄く驚いて、やっぱりとても恥ずかしかった。
どうやらいつになっても、私は土方さんにはかなわないみたいだ。

「土方さんにはなんでもお見通しなんですね。」
「ずっとおまえを見てたからな。」

桜と一緒にな。
さらりと言われた一言に、頬が熱を持った。

「綺麗だ。」

そっと土方さんの方に引き寄せらて、耳元で言われた言葉にまた更に顔が熱くなる。

「これからは、何度も桜を一緒に見よう。色んな桜を。」

もう、京にいた頃のように、遠慮をする必要はないのだと言ってくれてるみたいで。
残念だと呟くことは、二度とないのだろう。

「今日はあれだな。あん時見れなかった夕陽から夜に変わる桜が見れるんだな。」

そうだ、夕餉の時間だと帰路に急いでついたあの時とは違うのだ。

「せっかくだ。堪能するぞ。」

何も言えなくなってしまっていた私に、土方さんが覗き込むようにする。
夕陽を受ける桜を背にした彼はやっぱり、
京にいた頃には見ることが出来なかった、とても穏やかな柔らかい表情をしていた。