「土方さん、雪村です。」

休んだ筈の千鶴の声がして、俺は仕事の手を止めた。

「どうした?」
「お茶をお持ちしました。」
「入れ。」

どこか沈んで聞こえる声に不思議に思い、特に断る理由もなく入室を許可した。

「失礼します。」

お茶を手にした千鶴は、寝着のままで、いつもは高く結ってある髪もさらりと下りている。
おそらく、さっきまで寝ていたであろうそのままな様子はどこかそそるものがあるが、
それ以上に涙の跡が見えて千鶴が部屋までやってきた理由がわかった。

「やっぱりまだお仕事をされてたんですね。」

形だけは俺を咎めるようだが、そこに安堵したような色合いがあるのを聞き逃さなかった。
どうぞと差し出された茶を受け取ると、そこにやっと小さな笑みが浮かぶ。
千鶴は、湯飲みを載せていたお盆を、俯き加減にぎゅっと抱えた。

「なんだか目が覚めてしまって。」

何気なしにぽつりと千鶴の口からこぼれた。

「そうか。」

恐らく怖い夢でも見たのだろうことは、千鶴の様子でわかる。
夜も明けるかどうかの時間。
寒いのか怖いのか、少し体が震えてるように見えた。

「そんな薄着で来やがって。」

茶を飲み干して、椅子から立ち上がると、
いつもより小さく見えるその背に自分の上着をかけてやる。

「大丈夫ですよ、土方さんが寒いのでは――」
「こうすれば暖かいだろう?」

千鶴の言葉を遮ってそのまま後ろから抱きすくめると、
微かにビクっと動いて緊張なのか硬直しているのがわかった。

「甘えたけりゃ素直に甘えりゃいいだろうが。」
「えっと…。」
「怖い夢でも見たんだろう?」
「……。」

途端に黙り込んでしまったのは肯定だろう。

「すいません、お邪魔になるとは思ってたんですが…。」
「おまえは余計なことばかり考えやがる。」
「でも土方さんもお疲れなんじゃないんですか?」
「だからそれが余計だって言ってんだよ。
 俺はもう少しおまえに甘えてもらいてえと思ってたしな。」

小刻みに震えたのが伝わってきたから、きっと泣いてるんだろう。
少し腕の力を緩めて、千鶴の体を反転させる。
一度涙を拭ってやってから、こいつが安心するようにと力を込めて抱きしめてやれば、
おずおずと千鶴の腕が背中に回った。
それからぎゅっと指先に力が入ったのがわかった。

「あの、」
「なんだ?」
「…・…このまま、…一緒に、いて…いただけませんか…?その…土方さんがごめ――」
「端からそのつもりだ。迷惑だとか言うんじゃねえ。だから安心しろ。」
「はい…。」

覗くように垣間見えた顔が、柔らかく微笑んだような気がした。
まったくもっと甘えてくれてかまわねえっていうのによ。
朝までそう時間があるわけではなかったが。
先に湯のみを片付けるという千鶴に、添い寝してやるから明日にでも片付けろと言えば、
自分から言い出したというのに恥ずかしそうに頬を染めて頷いた。
当然一つしか用意されてない寝台に、千鶴を抱き寄せて横になる。

「本当は、一人でいるのが怖かったんです。」

しっかり抱き留めれば、千鶴は擦り寄るようにしながらそう言った。

「だからそういう時は遠慮なく甘えろって言ってるだろう。
 どうもおまえは遠慮しすぎる節がある。」
「土方さんのお仕事の邪魔をしたくないからで……。」
「本当にそれだけか?」

言いよどんでいる気がして先を促した。

「また…。」
「千鶴…?」

じんわりと服が濡れる感覚が、千鶴が泣いたのだと教えてくれた。
腕を緩め、千鶴の顔を見れば、早くも幾筋の涙が流れた後があった。

「傍にいさせてもらえるだけでも十分なのに、
 そんなことしたらまた仙台に追い返されたりしないかと……。」

自分でも止められないだろう、涙が次から次へと溢れてくる。
要は、そういう夢を見た、ということか。
もう一度俺が仙台での時のように突き放すような命令をし、千鶴を一人置いていくという。

「だから、一人で部屋にいたら、怖くなって…。」
「俺に置いていかれたと?」
「はい。」

そもそも千鶴がそんな夢を見るのも、俺があの時下した命令が原因だということなのだろう。
俺からしてみれば、千鶴を巻き込みたくはなく、死なせたくもなく、
辛い思いをさせないための決断だったわけだが。
だが、今は違うとはっきり言える。
第一、そばにいてくれと言ったのはこの俺だ。

「俺は千鶴が全然甘えてくれねえからやきもきしてたくらいなんだぜ?」
「…え?」

驚いたような千鶴が、顔を上げて俺を見た。
濡れた頬に手を添える。

「そばにいてくれと言ったのは俺だ。どこをどう取ったら俺がおまえを追い返すんだ。」
「それはそうですけど…。」
「所詮夢だろう?」

やはり図星か、千鶴の目が一つ瞬いた。

「千鶴がここに来た時、俺が言った言葉に嘘はねえよ。
 だったら俺がわざわざ追い返すかよ。千鶴がいねえと駄目だとわかったのによ。」
「土方さん…。」

涙で潤んだ瞳が更に溢れた涙で潤む。

「それに、だ。俺は千鶴がここに来てから何度か言ってるはずだが?
 遠慮はするな、何かあったら言え、もっと甘えろって。
 もしかして俺の話聞いてなかったのか?」

少し語尾を強めてやれば、慌てて千鶴が首を振る。

「ち、違…っ、ちゃんと聞いてます!」
「なら遠慮する必要はねえ筈だ。」

千鶴が函館に来てからというもの、俺は随分こいつへの接し方が変わったと思う。
というより、自分の気持ちに素直になったていうのが正しいかもしれねえが。

「頼りねえとは言わせねえからな?」
「はい!」

やっといつものふわりとした花のような笑顔が見れた。

「しかし、こんな時間にそんな格好で男の部屋に来るのも考えもんだがな。」

確かに千鶴が部屋に入って来た時、
普段は形ばかりの男装に隠れている千鶴の女としての魅力というか色気が見えて、
涙の跡を見つけなかったかったら危なかったかもしれねえ。
この時間じゃ起きているとは考えにくいが、他の奴らには見せたくねえ姿だ。

「何がです?」

わからない千鶴は首を傾げている。
そこにまだ幼さが見えて、安心したようなそれもまた愛しいような。

「何でもねえよ、早く寝やがれ。
 朝までそう時間があるわけじゃねえが、
 ちゃんとここにいるから安心してゆっくり寝ろ。」

でもそう見つめられては恥ずかしいです、
そうはにかむ姿にさっきまでの怖がる様子は消えていた。
だったらと、千鶴の頭を抱きこむように自分の胸に押し付けた。
その温もりに安堵したのは俺だったか。

「土方さん、ありがとうございます。」

千鶴の小さな言葉と寝息を聞いたか否か、俺も意識を手放していた。







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