――それは懐かしい夢だ。



土手で寝そべっていた。
奉公先から戻って、行商を始めたばかり。
けれど、まだ軌道には乗らず、この日はもう帰ろうとしていた。
気持ちいい風に誘われて、近くの川べりに横になった。
寝ているわけではないが、目を瞑って風を感じる。
すると、光が途切れて暗くなった。
目を開ければ、栗色の瞳が覗いていた。
その色は心配するように揺れている。
まだ随分と幼さの残る少女だ。
突然目を開けた自分に驚いて、
わっっと後ろに後ずさったかと思えば、こてん、と尻餅をついてしまう。
そんなに驚くことだろうか。

「あっ。」

少女が小さく声を上げた。
見てみれば、手にしていたであろう野草がその傍に散らばっている。

「悪かったな。大丈夫か?」
「……はい…。」

体を起こして少女を覗き込んで尋ねれば、
落ち着きのない所作で俺を見、視線外し、彷徨わせ、それでも丁寧に返事をした。

「それ、いいのか?」

散らばった野草――よく見ればどれも上等な薬草ばかり――を指差すと、慌てて拾い始めた。

「薬草?」
「わかるんですか?」

幼い容貌をしているのに、随分と大人びた口調だった。

「あー。ほら、俺も一応薬行商してんだよ。」

そう、近くに置いてあった行商用の薬箱を指す。

「薬師、さん…?」
「まあ、そんなとこだ。」

俺は曖昧な返事をして、散らばった残りの薬草を拾って少女へと渡してやる。

「ほらよ。」
「ありがとうございます。」

少女は受け取りながら、ふわりと笑った。
綺麗な笑顔で笑う少女だ。

「誰かの手伝いか?」
「父様の。」
「医者か薬師かなにかやってるのか?」
「父様はお医者様なんです。
今日は、お薬作る薬草を摘むお手伝いをしているの。」

敬語が入り混じった子供の言葉の端々から、
父親のことが好きなのだろうということが伝わってくる。

「父様のこと好きか?」
「うん!」

満面の笑みで答えた少女はとても可愛かった。
この子の父親が愛情を注いで育てているのだろう。
早くに両親をなくした俺としては、なんだか見ていて羨ましいと思えてしまう。

「そうか、偉いんだな。」
「そう…なんですか?偉い?」

褒めた俺を少女は目を丸くして聞き返した。
その栗色の瞳は、傾きだした西日を受けてさらにキラキラと輝いている。

「偉くないのか?父様のお仕事のお手伝いをしているんだろう?」
「父様はありがとう、って言ってくれるけど、
偉いって言われたことないし、特別なことしてないもん。」
「父様に感謝されてるなら、それは偉いことしてるように俺は思うがな。
父様はきっと凄く助かってるんだろうな。」
「本当?だったら嬉しいです、とっても!」

また笑う。
ころころと表情がよく変わる少女だ。

「そろそろ行かないと!」

少女が慌てて立ち上がった。

「引き止めて悪かったな。」
「え?ううん、こっちこそごめんなさい!」

今度はペコリと頭を下げる。

「何がだ?」

謝られるようなことはされてないが?

「さっき、寝てるの覗いてしまって。
体調悪くしてるんじゃないかと思ったの。」

ああそういうことか。

「だったら気にしてねえよ。
こっちこそ悪かったな、驚かしちまったようだな。」
「ううん、大丈夫!お兄ちゃんも頑張ってね!ありがとうございます!」

じゃあ行くね、と少女は駆けていった。
危なっかしい気がして、思わず笑みがこぼれた。
頑張ってね、か。
まさかあんな少女に言われるとはな。
あんまりここで油売ってないでとっとと帰るか。
行商箱を背に、刀を腰に歩き出した。



その、下手な男装をして京にやってきた少女を新選組で保護した時、
どこかその面影が見たことがあるような気がした。
でもそれは自分の気のせいだと思っていた。
どこかの町ですれ違った少女に似た少女でもいたのかもしれねえと。
気のせいだとは思いつつ、どうしても気にかかって仕方なかった。

「千鶴か?」

保護した少女は千鶴といった。
新選組との不思議な縁で、新選組預かりとなった、運のない少女。
彼女を預かって、数ヶ月。少しずつ少しずつ馴染み始めていた。
その少女が、夜更け、自分の部屋の襖を開け、満月の輝く空を眺めていた。
千鶴の様子が少しおかしいことに気が付いた。
いつもの明るい彼女ではない。
どうしたのだろう、と足音を消して近づいてみると、
月明かりに照らされた千鶴の横顔が光る。
――泣いているのか。

「父様……。」

ぽつりと零れた千鶴の声。
彼女は、消息のわからなくなった父親を探して、一人京までやってきた。
下手な男装までして、僅か路銀と必要な最低限の荷物だけ持って。
そして、父親の唯一の手がかりだというこの新選組に身を追かざる得ない状況だ。
まだ、年端のいかない少女、父一人子一人の環境で、父親の愛を一身に受けて育ったんだ。
そんな中での見知らぬ土地で、見知らぬ男共との生活。
そりゃ父親が恋しくもなる。

「父様……どこにいるの…?」

千鶴の切ない響きを持った声が月夜に吸い込まれている。

「ちづ…。」

名前を呼ぼうとして、ふと、何かに気が付いた。
年端のいかない少女、医者の父親、父親の愛情を受けた少女、
どこか引っかかる少女の面影と、やっぱりどこかで見たことあるような栗色の瞳。
もしかして、あの時の少女は千鶴か?もし、そうだとしたら?
父様が大好きだと満面の笑みで笑った少女が、
父様の手伝いをしてることを褒めた時に嬉しそうに笑った少女が、
もし今そんな父親と離れ離れになって、
居所もその手がかりすらも――もっといえばその生死すらもわからないとなれば?
きっと悲しいに違いない。寂しいに違いない。そうだ、京まで追いかけてきたのだ。
どんなに気丈に振舞ったとて、その心は悲しみに押しつぶされそうに違いない。
千鶴の頬は涙が伝い続ける。
そこに、子供ながらも綺麗に笑ったあの笑顔は今は影を潜めていた。
そっと近付いて、触れられる距離に立ったとしても、千鶴は気付かない。
音もなく涙を零しながら、満月の月を静かに眺めていた。
自然と手が伸びていた。
手を伸ばして、いつもは高く結ってある髪がサラリと降りた、
千鶴の頭に手を置き自分の方へと引き寄せた。

「……っ?」

咄嗟のことに声も出なかったか、小さな声にならない悲鳴が漏れた。

「泣いていいぞ。」
「…ひ、じかた…さん?」

涙に濡れた声が確認するように俺の名を呼んだ。

「どう、して」
「一息つこうと思ってな。外に出たらおまえが見えた。
泣いているように見えてほっとけなくなったんだよ、俺らしくもないがな。」

本当、俺らしくない。

「なぁ千鶴、昔一度江戸で行商箱の傍らで寝ていた男と話をしなかったか?」
「江戸、で、ですか?」
「ああ。体調が悪いのかと覗き込んで、突然目を開けたのに驚いて、
父様の手伝いだって集めてた薬草その場に落とした。」
「もしかして…」

さすがにそこまで言うと、思い出したらしい。
やっぱりあの少女は千鶴だったか。
これはなんというめぐり合わせだろうか。

「土方さんだったんですか…。」
「俺も今思い出したがな。
あの時おまえは父様が大好きだと笑い、父様の手伝いをしていることをほめては嬉しいと笑い、
早く父様のところへ帰らなくては急いだ。俺にありがとうと頑張ってって言って。
あの時のおまえの笑顔を見ていたら、ああこの親子は本当に仲がいいんだろうな、
この子は父様から愛情一杯育てられたんだろうなって思ったんだ。」

まだ千鶴の傍に父親がいた頃の記憶。
今の千鶴には少し酷な話をしたのかもしれない。
引き寄せて俺の腕の中に納まる千鶴は肩を震わせていた。

「あの時のおまえが、そんな風に泣くのはなんだか胸が痛むんだ。」
「土方さん…。」

千鶴が遠慮がちに、それでも俺の着物を握ったのがわかった。

「これも何か不思議なめぐり合わせだ。綱道さんは俺達が必ず探し出す。
また、おまえがあんな風に笑えるように。だから今は泣け。
俺は父様の代わりにはなれねえが、おまえを一人で泣かせるようなことはさせたくねえ。
辛いだろう、寂しいだろう、悲しいだろう。だったら泣いちまえ。
こうしてれば俺は何も見えねえからな。誰にも言わねえよ。何かあれば俺に言えよ。
おまえがどれだけ父様のことを慕ってるか、俺は知っているからな。」
「…ぅっ…つ!」

千鶴の肩が大きく震える。
ぎゅうっと俺の着物を握り締め、嗚咽を堪えるでもなく泣いていた。

「父様…!」

これまで、ずっとその小さな体の中に押し込んで我慢していたのだろう。
まるで子供のように泣きじゃくる千鶴を見て、
何故だか綱道さんは必ず見つけてやろうと強く思った。
新選組の為でもあり、父様が大好きだと笑ったかつての千鶴の為でもあり。
千鶴は一晩中泣いていた。
泣き疲れて眠る千鶴に、あの時かけた言葉と同じ言葉をかけた。

「偉いな、おまえは。」

どうして、綱道さんは愛情注いだ娘を置いて姿を消したのだろうか。



それは、それから数年、幕末の動乱の最中、もっとも望まぬ形で明らかとなった。
あれだけ、再会させてえと思った親子を、
再会させたんは間違いだったのかもしれないと思ったほど。
羅刹の力に酔っていた――いや、違うな、あれは狂っていた――
綱道さんは仙台で敵として俺達の前に姿を現したのだ。
それでも、父親を説得する千鶴。
やがて、綱道さんが千鶴の言葉に元の優しい父親へと戻った時、
狂った羅刹から娘を庇ってその命を落とした。
大好きだと言った父親は、最後に娘の命を守って死んだのだ。
最後の愛情を注いで。
けれど、千鶴は泣かなかった。
ぐっと堪えた唇は今にも血が出てしまいそうで。
直後に訪れた、平助と山南さんの死。
目に一杯涙を溜めた千鶴は、俺の傍にいた。
ポンと優しく頭に手を乗せれば、俺は見上げた笑ったのだ。

「父様はこれでよかったんだと思います。」
「千鶴…。」

笑った拍子に一筋の涙が零れた。
それを拭ってやると、綺麗に笑顔を作った。
最初に見た笑顔から、随分大人になった女の笑顔で。

「最期は私の大好きな父様でしたから…だから、土方さん、ありがとうございます。」

頭をそっと撫でて、俺は千鶴に言った。

「偉いな、おまえは。」
「そう、ですか?」
「ああ。だけどな。」

あの時とは違い、大切な存在となった千鶴のその笑顔は愛しさを覚えた。

「少しは俺に甘えやがれ。」

泣いていいぞ、と言葉の代わりに、力いっぱいその華奢な体を抱きしめた。

「それは土方さんも同じです。」

俺は、昔からの仲間の平助と山南さんを失った。
千鶴は、そんな俺を気遣っていた。
いつの間にこんなに心の強い女へと成長したのか。

「言ってくれやがる。まさかおまえに気遣われる日が来るとはな。」
「それだけ私も大人になったんですよ。」

背中に回された千鶴が、力を入れて俺の服を握る。

「それに大丈夫です、私には土方さんがいますから。」
「……そうだな。」



最初に千鶴と出逢ってから年月は流れ、
一度はこれ以上辛い思いはさせたくないと
残酷にもし合わせになれと手放したこともあった。
それでも俺を追って千鶴は海を渡り、瀕死の傷を負った俺を看病し、
そして、俺の傷が全快し、春から夏へと変わる季節。
今は、夫婦として俺達は暮らしている。
今では、俺を見て大好きだと笑う千鶴が、ただ愛しくて仕方がない。
あの日、江戸の土手で偶然にも出逢い、血生臭い京で知らずとも再会し、
最初はその不思議なめぐり合わせとも言える流れに俺がほっておけなくなった。
いつからか、千鶴が俺の傍で、俺を支えてくれた。
時には強く叱咤し、時には優しく笑い、ふわりと華のような笑顔を咲かせては。
傍にいさせてほしいと願った千鶴はただその一心で俺についてきた。

「不思議なもんだよなぁ。」
「何がですか?」
「いや、なんでもねえよ。」

千鶴は納得したのかしてないのか、それでも幸せそうな笑みを浮かべていた。
だから思わず聞いていた。

「千鶴、おまえ幸せか?」
「はい、幸せです。そういう土方さんは幸せですか?」
「ああ、幸せだ。」

ふわりと綺麗に笑い、俺の答えにぽろりと涙を零す。
泣き虫なのも変わらねえな。
ころころ変わる表情も。
変わったのは、笑顔を向ける相手…だろう。
あとは、俺の想いだ。
俺が千鶴を手放せなくなっていた。
俺が千鶴が傍にいねえとダメになっているとはな。
時の流れはこうも人を変えるものかと思う。

「千鶴、おまえはずっと傍にいろよ?」

最初に逢った頃と同じ女の格好に戻った千鶴を抱きしめる。

「私は土方さんのものですから、ずっとお傍にいます。
それに、私はあなたの隣で、一緒に笑い合えるだけで幸せですから。」

その笑顔をを守り抜こう。
最初に逢った頃には見せなかった笑顔だ。
恋をして、愛を知り、愛する男にだけ見せる笑顔だ。
もう、屯所での時のように泣かせはしない。

「千鶴。」

名前を呼んで、はい?と見上げた千鶴に、優しく口付けた。
それは小さな誓いの口付け。





お題「ココロノカタチ」10のお題6 過去と未来をつなぐもの
お題サイト「ココロノカタチ」様よりお借りしました。



1800hitももこ様より
「土方さんと千鶴が昔実は江戸で会ってた話」
(将来のことに悩んでる土方さんがその時に千鶴と会って何かを掴むとか…ほのぼのor切、ハッピーエンド)

この度はリクエストありがとうございました!
ご期待に応えられたえしょうか…。なんかすいません!
お言葉に甘えさせていただき、将来のことに〜という部分はカットさせていただきました。
江戸の町で会う土方さんは行商を始めて間もない頃、とお考え下さい。
最初に、土手で寝転がってるところに幼い千鶴ちゃんが覗き込む、というのが思い浮かんで
あのシーンが出来て、そのまま自分のイメージを元に書かせていただきました。
無駄に長いですよね、はい…すいません…こんなんでよかったでしょか…。
こんなお話になってすいません。駄文でよろしければお持ち帰りいただけたら幸いです。
感想や苦情いただけたらと思います。というか、書き直しいつでも受けますのでおしゃってください!
また、お暇なときにでも、サイトに来ていただけたらと思います。