「あれ?」

繕いものをしていた千鶴は、いつも近くにある筈の、土方の気配がないことに気が付いた。

「歳三さん?」

不安の色を含んだ声は、そのまま空気に吸い込まれていく。
言いようのない恐怖に駆られて、千鶴は慌てて立ち上がった。

「歳三さん!」

家の中を探すも土方の姿はなく、千鶴は外へと飛び出した。

「あ…」

足が止まった千鶴の視線の先、探していた土方の背中があった。
雪が解けて、短い春を迎え、初夏が近付く、穏やかな陽射しを浴びて、空を見上げる土方。
しばし、見惚れていたようにしていた千鶴だが、

「…歳三さん?」

いつもと何かが違うような何かに気がついた。
その背中が泣いてるような気がしたのだ。
そしてその背中に、まだ千鶴が男装をしていた頃のとある記憶が重なった。



『俺はどうしてここにいる?』
夕陽を浴びた悲しみに震えた背中。
あの時、かける言葉が見つからず、ただ、その背中に縋るしかなかった。



「歳三さん……」

千鶴は、小さく名前を呼んで、あの時と同じように、土方の背中に抱きついた。

「千鶴、どうした。」

太陽の陽射しのように、柔らかな土方の声がした。
その声に、少し悲しみの色が混じっていたのは、千鶴の気のせいだろうか。
そっと千鶴の手に、土方は手を重ねた。

「…どこにもいらっしゃなかったので、探しましたよ。」
「悪かったな。」
「それより、歳三さんが泣いているように見えたので……。」

土方は、言葉に詰まったように黙り込む。
空を見上げたままの土方の表情はよく見えないが、
千鶴の言葉に驚いたような困ったような、そんなように見えた。

「違っていたらすいません。」

遠慮がちにかけられた謝罪の言葉に、土方は小さく首を振り、嘆息した。

「おまえには本当かなわねえなぁ。おまえにはお見通しみたいだ。」

その声はやはり、微かに震えている。
まるであの時のように。

「どれだけお傍にいるとお思いですか。」
「違いねえ。」

自嘲にも似た笑い。
いつどんな時も傍にいると言い張り、違えずずっと傍にいた。
土方も思い出したのかもしれない。

「流山ん時もおまえ傍にいたもんな。
島田と先に行けって副長命令だっつったのに、『その命令だけは聞けません』て傍にいやがってよ。」

と、土方が言葉を切った。
深呼吸するかのように、息を吸い込む。
千鶴は、土方が言葉を続けるのを黙って待っていた。
そっと腕の力を込めて。

「……今日は、近藤さんの命日らしい。」
「はい。」

土方は死んだことになっている。
その為、墓参りに行くことは叶わない。 誰よりも慕い、誰よりも想い、もり立て、自身の命すら懸けた人の墓参りさえ。
本当は行きたいに違いない。行って、墓の前で泣きたいに違いない。

「近藤さんはきっと喜んでらっしゃいます。例え、お墓参りに行けなくとも、
こうして歳三さんは、命日に近藤さんを偲んで泣いているんですから。」
「誰も泣いちゃいねえよ。」

拗ねたような声が返ってきて、千鶴は小さく笑った。

「はいはい。」
「千鶴が言うと本当にそんな気がして来るな。」
「そうでしょう?近藤さんはそんな人じゃないですか。
歳三さんが近藤さんの願い通りに生きてるんです。そして、自分を偲んでくれる。」

あの時、近藤は土方を生かす為、生きてほしいから、投降したのだ。

「それにおまえがいるしな。」


『トシ、ありがとう。雪村君を頼んだぞ。』

「近藤さん……」

小さく呟かれた言葉。
肩が、今度ははっきりと震えていた。
千鶴は、また何も出来ないかと唇を噛んだ。
こうして傍にいることしか。それすら、この人の為に出来ているのかわからない。

「千鶴…」

乞うように呼ばれた自分の名に、見えない土方の顔を見る。

「もう少し……もう少しこのままでいてくれねえか。」

土方には珍しく、ねだるように紡がれた願い。
千鶴はぎゅうっと土方の着物を掴んだ。

「いつまでもお傍にいます。これ位しか私には出来ませんから。」
「いや、十分だ…。」

土方の答えに、千鶴はそっと土方の背に顔を埋めた。
千鶴は自分が土方の為に出来たことが、不謹慎ながら嬉しく思えた。

「私も一緒に近藤さんを偲びたいですし。」
「近藤さん、泣いて喜びそうだ。」



それから、どの位そうしていただろうか。
少しずつ日が傾き、北の大地らしい風が吹きはじめた頃、土方は優しく千鶴の手を離した。
そして、向き合うと、

「すっかり冷えちまったな。」

そのまま千鶴の冷えた手を握る。
負けない位、土方の手も冷えていた。

「熱いお茶でもお入れしましょうか。」

そう言いながら、千鶴は土方の顔を見上げた。
まだ、その菫色の瞳に涙が浮かんでるように見えた。
片手を土方の手から外し、土方の頬に触れた。

「あんま見んじゃねえ。」

土方の頬が、少し朱くなったように見えたのは、西の空にある日のせいか。

「熱い茶、入れてくれんだろ?」

自分の頬にある千鶴の手を取り、今度こそ家の中へと歩き出した。

「はい。」

千鶴は、土方の手を握り返し、並んで歩き出す。

「千鶴。」
「なんでしょう?」
「ありがとな。おまえはわかってないだろうが、おまえが傍にいてくれるだけで、
俺の力になってんだ。……流山でも。」
「えっ?」

最後の一言に、千鶴は思わず声を上げた。

「本当はおまえがいてくれてよかった。」

家の中に入ると、土方は照れ臭いのか、
『茶を頼む』と千鶴を向かずに片手を上げて、奥へと入っていった。
千鶴は、ほんの僅か驚いて立ち止まる。
土方の言葉の想いを知ったその瞳から一筋、涙が落ちた。
涙を拭うと、土方の為に熱いお茶をいれようと、勝手場に急いでいた。













お題:背中合わせのお題より 01. 震える背中は君の哀しみ
お題サイト「恋したくなるお題」様よりお借りしました。