「……た君、土方君。」

近くで呼ばれた声に我に返る。
誰かが部屋に入ったことにも気付かないとは、俺らしくもねえな。
そもそも物思いにふけることから、俺らしくもないか。

「大鳥さんか。」
「大丈夫かい?」

心配そうに大鳥さんが俺の顔を覗き込んでくる。

「何がだ。」

いつも通りを装い、ぶっきらぼうに返す。
知ってか知らずか、大鳥さんもいつもと変わらない調子で言う。

「何がって土方君だよ。ノックしても返事しないし、体調悪くして倒れてるんじゃないかと思ったよ。
しかも、僕が部屋に入ったのすら気付かないでボーッとしてるなんて。土方君らしくない。」

らしくない……ねぇ。違いねえ。
大鳥さんに心配されんのは癪にさわるが、わけない。
蝦夷に来てからというもの、何か足りない感覚に襲われていた。
息苦しさにも似たもの。どうしてかわかっちゃいるようにも思う。
だからか、一人部屋に篭ることも増えた。
勿論、羅刹という体な以上、いつあの吸血衝動に駆られるかもしれない、というのもあるが。

「俺が物思いに耽ってちゃ悪いか?」
「いや、そうじゃないけど、蝦夷に来てからの土方君、おかしいよ?なんか変わったよね。」
「…あんたが変わらなすぎなんだ。」

苦々しく大鳥さんに返す。早く出ていってほしい。
察してほしいが、大鳥さんにそんな気配はない。
普段から洞察力ある大鳥さんだ。わざととしか思えない。

「何の用だ。用がないなら帰ってくれ。迷惑だ。」
「つれないなぁ。用があるから来たに決まってるじゃないか。
榎本さんの帰りが遅くなるようなんだ。それで今日の会議はなしになって明日になったから。」
「わかった。それだけか?」

用が済んだのなら出ていってくれ、
そういう意味も言外に込めて突き返すが、大鳥さんは一向に部屋から出ようとしない。
のれんに腕押し。なんというか、今までの誰よりも扱いが難しい。

「まだあるのか?」

にこにこ笑う大鳥さんを睨みつけて言う。
しかし、怯む様子などなく、逆に真っ直ぐ俺を見てくる。

「雪村君のこと、気になるんでしょ?」
「……っ!なんであいつの名前が出る。」

想いもよらない名前が出て、咄嗟に言葉にならなかった。
顔にも出ていたかもしれない。
どうにか繕ったが大鳥さんがそれを見逃すはずがない。

「図星みたいだね。」

楽しそうに見えるのは、俺の目の錯覚か?

「土方君、雪村君がいなくなってから変わったよね。
蝦夷でこんな調子なのって雪村君がいないからじゃないのかな?なんで置いてきたの?」
「大鳥さんには関係ねぇだろ。あいつも関係ない。第一俺は何も変わっちゃいねぇ。」

あいつは関係ない。
それは自分に言い聞かせたようなもんかもしれねえ。
何かの拍子に、あいつの名前を呼ぼうとしたことだってあった。
何か心にある息苦しさも、何かが足りない感覚があるのも、あいつがいなくなってからだ。
大鳥さんの言う通かもな。
でも、あいつを蝦夷に連れて来るのは――

「蝦夷に連れて来なかったのって、戦争に巻き込みたくなかったからだよね。
うん、君の気持ちはわからなくもないよ。」
「大鳥さんに何がわかる。」

今俺は箱館の戦いで死ぬつもりでいる。

「なんで君は戦いとなれば的確な指示や判断が出来るのに、
雪村君となるとそれが出来ないんだろうねぇ。」
「どういう意味だ?」

恐らく、眉間に皺が寄っただろう。
自然と詰問口調になる。
なのに臆しないとは、なかなか大物かもしれねぇな。

「土方君、君、あの時振り返らなかったでしょ。」

大鳥さんが何を言いたいのか、わかりかねていた。

「君もなかなかひどいよね、雪村君にあんな局長命令出すとは。」

局長命令……すぐに思い当たった。

「大鳥さん聞いてたのか!?」
「僕も同じ道通って蝦夷に向かってたからね。声をかけれる様子じゃなかったし。」

まさか聞かれていたとは。
よりによって大鳥さんに。

「土方君、言うだけ言ったら振り返らずに先に言ってしまうから、雪村君可哀相だったよ。」

振り返らなかったんじゃねえんだ、振り返れなかったんだ。
泣き崩れるあいつを見たら、きっと俺はあいつを連れてきていた。
俺だけの勝手に、これから待ち受ける戦いを知っているのに、あいつを連れてはこれない。
生きててほしいから、あんな言い方をして、あんな命令をして、突き放したというのに。
俺はあいつを幸せに出来ない…。

「あのあと雪村君落ち着かせるの大変だったんだよ。」

その言葉で逡巡する。
泣きじゃくるあいつと大鳥さんと二人きり…

「まさか大鳥さん――。」
「大丈夫、何もしてないよ。」

俺が言うより早く、まるで俺の心を見透かしたように、にこにこと大鳥さんが遮った。
表には出さないように、心の中だけで小さく安堵した、つもりだったが。

「あれ?違った?」

陽気な声に、しまった――と小さく舌打ちした。
間違いない、楽しんでやがる。

「いやぁ鬼の副長とまで言われた土方君の大切な小姓に手を出せるわけないじゃないか。」
「大鳥さん…殺されたいのか?」

鯉口を切るような仕種を見せると、さすがにやり過ぎたと思ったのか慌わてて手を振った。

「ちっ違うよー。本当土方君って容赦ないよね。」
「誰かさんのせいでな。」
「心配なんだよ。君も、雪村君も。」

今まで打って変わって真剣な表情になる。

「君達お互い思いやってるのにさ。
まぁ君が不器用で意地っ張りっていうのもあるんだろうけどね。
なんでも背負い込んじゃうみたいだしさ。」
「………。」
「箱館もいつかは戦場になるだろう。
だから、雪村君を遠ざけようとするのはわかるけど、君は本当にそれでいいのかい?」
「…人の気も知らねぇで…」
「うん、そうだね。」

ぼそっと呟いた言葉は、大鳥さんにはしっかり聞こえていたらしい。

「土方君も本当はわかってると僕は思うな。君には雪村君が必要なんだよ。
どうして、そう意地を張るかな。雪村君、呼んであげたら?
後悔してない、なんて言わせないよ?」

出来ることならそうしたいのはやまやまだ。
だが、出来るわけねぇだろ。
この戦場にあいつが来たところで、あいつに何一ついいことがあるってんだ。

「大鳥さんよ、あの時の俺らの話聞いてたんだろ?ならわかってくれ。」

これでいいんだよ、だからほっといてくれ。

「わかった。」
「それならいい。」

嘆息したのも束の間、あっさりと俺の認識は覆される。

「君が意地っぱりでどうしようもないことがよくわかった。
そして、君がどれだけ雪村君を大事に思っているかも。」
「大鳥さん!」

が、大鳥さんはくるりと背を向けて部屋の外へと歩き出している。

「土方君、今日はゆっくり休んでくれ。そしてわかってほしい、僕は君のことが心配なんだよ。
雪村君がいなくなってからの君は見ていられない。」

それだけ言うと、大鳥さんはドアを閉めて出て行った。
大鳥さんに心配をかけていることはすまないと思っている。
大鳥さんが真面目に考えて話をしてくれたのもわかっている。
それでも……

『土方さん』

幻聴か、千鶴の呼ぶ声が聞こえた。

『お茶、入れてきました』

「千鶴…。」

幸せに暮らしていると信じて、それならそれでいいと思っている。
こんな俺についてきたところで、あいつには辛いことを味あわせる結果になりかねない。
あいつを苦しめてしまうかもしれない。

「千鶴…。」

窓の外、月が輝く夜空を見上げる。
同じように千鶴もこの夜空を見上げているかもしれない、
俺らしくもねえが、そんな風に思えてならなかった。





この後、大鳥の気遣いにより、辞令という形で千鶴が土方の下に来るのだが、
この時の土方にはまったくわからなかった。
大鳥はというと、必ず千鶴を呼ぶことを改めて強く決めたのであった。