まだ雪が残る蝦夷の3月。
それでも暖かな陽射しが射しはじめた、昼過ぎのことだった。
土方は昼餉の片付けを終えた千鶴に、唐突に声をかけた。
「お出かけ、ですか?」
襷掛けを外し、首を傾げる千鶴に、土方は柔らかく笑った。
「ああ。ま、出かけるって言っても散歩だな。
見せてえもんがあるんだ。まだ外は冷えるからな、なんか羽織ってこい。」
「はい…。」
まだよくわからない、といった感じだが、それでも羽織りを取りに奥の部屋へ下がった。
少しして、1枚羽織りを着た千鶴が、土方の羽織りを手に戻ってきた。
土方は、千鶴の手にあるものを見ると、少し皺を寄せる。
「俺はいらねえよ。」
「ダメです。さっきまだ冷えるとおっしゃったのは誰ですか。
着ていただけないのなら、私は行きません。」
戦いが続いていた頃に見せた、あの芯の強い目で千鶴は土方を睨む。
すると、観念したように
「わかった。」
嘆息混じりに土方は表情を柔らかくし、差し出された自分の羽織りを羽織った。
千鶴は嬉しそうに笑う。
「本当かなわねえなあ。」
土方のそのつぶやきは、千鶴の耳には届かなかったらしく、不思議そうにしていた。
「なんでもねえよ。ほら、行くぞ。」
そんな千鶴の頭を優しくポンポンと撫でると、そのまま千鶴の手を取り、家を出た。
「あ、はい!」
慌てて千鶴も土方に並ぶ。
「あの、どちらへ?」
全く検討のつかない千鶴は、どこか遠慮がちに、土方に尋ねた。
「ん?いいとこだよ。行きゃわかる。」
悪戯を考えている子供のような笑顔を浮かべた土方は、それ以上答えようとはしなかった。
千鶴もそれを感じてか、それ以上質問することはしなかった。
「だいぶ暖かくなってきましたね。」
代わりに千鶴が口にしたのは、当たり障りない話題だった。
土方も穏やかに答える。
「そうだな。もう3月だからな、そろそろ雪解けしてもらいてえもんだ。」
「それもそうですね。」
雪の残る道をゆっくりと歩く。
家の近くの小さな野山に差し掛かると、土方は足を止めた。
「歳三さん?」
「千鶴、見てみろ。」
土方の指差した先、千鶴が言われるがまま視線を辿ると、残る白雪に映えて浮かぶ桃の花。
「わぁ綺麗……。」
そう、感嘆する千鶴の横顔に満足そうに笑みを零す土方。
「これを私に見せるために……?」
「他に誰がいるってんだ。この前散歩してる時に見つけてな、千鶴に見せてえと思ったんだ。」
土方の言葉に、千鶴はそれこそ花が綻んだような笑顔を浮かべた。
眩しそうに目を細め、土方は繋いでいた手を離し、肩を抱き寄せた。
二人の距離がグッと近付く。
「それにな、今日桃の節句の日だろ?」
「あ…そうでした。」
「やっぱり忘れてやがる。」
「すいません。」
「謝るこたぁねえよ。おまえらしい。」
土方が笑う。
千鶴は、恥ずかしそうに俯いた。
その顔を土方は桃の花へと向かせた。
「ほら、千鶴。桃の花見とけ。雛人形飾ってやれねえからな。その代わりだ。」
「そんな。」
「桃の花だけじゃ寂しい物足りねえかもしんねえが、さしずめ俺らが雛人形ってとこだな。」
桃の花から土方の顔へと千鶴は視線を移し、頬を桃の花のような色に染めながら嬉しそうに笑った。
「私には一番の雛人形です。だって一番愛する人がお内裏様ですもの。」
「そりゃよかった。こんなに綺麗で可愛い女がお雛様とは、随分幸せなお内裏様だな、俺は。」
さらりと口にされた褒め言葉に、千鶴の頬の色は濃くなるばかり。
「歳三さんがいてくださるなら、雛人形はいりません。
私達は、どんな雛人形よりとびっきり幸せな雛人形です。そうですよね?」
土方の顔は優しく愛情に満ちた微笑みへとなる。
千鶴への愛おしさと、そして、幸せとが全て現れてるようで、千鶴は思わず見惚れてしまう。
「当たり前だ。」
降りてきたのは心地好く響く声と優しい口づけ。
そっと触れてそっと離れて。
「桃の花見に来てんのに俺に見惚れてどうする。」
からかいの色を含んだ声に千鶴はハッとすると、今度は耳まで色を染め言葉にならない声を上げた。
「ま、俺は構わねえけどよ。」
ニヤリと笑う土方に、ドキリと跳ね上がるのを感じた千鶴は、
「そそそそんなことありません!」
拗ねたように言い切ると、プイと桃の花へと顔を向けた。
それでも甘えるようにコツンと土方の肩へ頭を預ける。
その仕種に土方は表情を和ませて、長くなった千鶴の髪を梳くように撫でる。
「歳三さん。」
「なんだ?」
「また、来年も飾りましょうね?」
――幸せな雛人形を――
白い雪に桃の花。
どうか隣にいる愛する大切な人が元気で長く生きられますように。
そしていつまでもいつまでも愛する大切な人と共に笑い合える幸せな日々を送れますように。
桃の花に願いを込めて。