土方先生のマンションのすぐ近くの公園。
「渡すもんがあるから待ってろ」
そう、言われたのだけど。
教科準備室に行こうとしたら、沖田先輩に捕まって、それどころじゃなくなってしまった。
そのまま家に帰るのも何だか憚れて、こうして土方先生のマンションまで来てみた。
公園からなら、土方先生が帰ってきたかどうかわかるから、この公園で土方先生を待つことにしたのだ。
だけど、なかなか土方先生は帰ってこないし、3月にしては冷える。
「どうしようかな…」
日も落ちてきて、益々冷えてくる。
心なしか空もどんよりと曇ってきた。
「まさかこんなとこにいたとは」
呆れたような声と共に、パサッと何かが被さってきた。
ふんわりと薫った紫煙の香りにそれがなんなのかわかった。
自分の体をすっぽりと覆ってしまうのは、土方先生のコートだ。
ということは…
「おまえいつからここにいたんだ?」
こんなに体冷やして、と言いながら、後ろから抱きすくめられた。
「なんでここで待ってる?てっきり教科準備室にいるもんだと思ったんだが。」
「行こうと思ったら、沖田先輩に捕まっちゃって…。」
「だからってなんだってここで待ってんだ。」
「それは…待ってろっておしゃったから…。」
後ろから、ため息をついた土方先生の息がかかってくすぐったい。
「どっちにしたって一言連絡いれてくれりゃ帰ったってよかったのに。」
「すいません…。遅くなるって連絡くれなかったのは先生だって同じです。」
「…そうだな。悪かった。」
そう言うと土方先生の腕の力が緩んだ、と思ったら強い力に引っ張られた。
次の瞬間には、土方先生と向き合う形になっていた。
土方先生は、申し訳なさそうにしていたが、すぐにそれを微笑みへと変えた。
「千鶴、手を出してみろ。」
唐突の言葉に、思考が一瞬追いつかない。
「え?」
「いいから、手を出せって言ってんだ。」
「手、ですか?」
訳がわからずにいると、また一つため息をついた。
いつもなら眉間に皺がよりそうなのに、今日は違った。
土方先生もどこか言いにくそうにしているのか、困ったような表情に見えた。
「今日ホワイトデーだろう?いらねえのか?」
「あ!」
土方先生の言葉で、何が言いたいのわかった私は、おずおずと手を出した。
満足げに笑った土方先生は、優しく私の手を包むように握る。
ひんやり冷たい何かが、手に乗せられたのがわかった。
「これ…!」
土方先生の手が離れて、その冷たいものの正体がわかった時、
あまりの驚きと嬉しさで、それ以上言葉にすることが出来なかった。
「もしかして…」
土方先生は、ちょっと居心地が悪そうに目を逸らして
「俺の部屋の鍵だ。」
そうぶっきらぼうに言い放つ。
目元が少し赤くなっていて。
なんだか一緒に照れてしまう。
土方先生の部屋の合鍵…。
「いいんですか?」
「いらねえなら返せ。」
「い、いやです!」
「なら、大人しく貰っとけ。」
「はい!」
手に収まった鍵をじっと見つめた。
何もキーホルダーもついてない、ただの鍵。
なのに、こんなにも特別に見える。
「だから、今日みたいな時は、それ使って俺の部屋で待ってろ。」
温かな温度が頭に降ってくる。
そっと頭を撫でられる。
「ありがとうございます…。」
嬉しくて幸せで、涙が零れそうだ。
「降ってきたか。」
ふと、小さく舌打ちしたかと思うと、土方先生の忌々しげな声が聞こえできた。
なんだろうと土方先生を見上げれば、ひらひらと季節外れの雪が降り始めていた。
「どうりで冷えるわけだ。」
「先生コート...。」
まだ土方先生のコートを借りていたことに気付いて、慌てて返そうとすると押し返された。
「あ?俺はいいからおまえが来とけ。ずっと寒空の下にいたんだ、冷えてんだろ。」
優しく微笑まれたら、何も言い返せなくなってしまう。
でも、嬉しかった。
だって、大きな土方先生のコートはとても温かく、
それに、土方先生に包まれているようで少し幸せな気持ちにもなれる。
今日はとても幸せな日だ。
そして、ぎゅっと握った手の中には、土方先生の部屋の鍵があるんだもの。
そんなにしてもらえてもったいないくらい。
「土方先生。」
「ん?」
「素敵なホワイトデーになりました。なんか幸せです。
こんなにしてもらってもったいないくらいです。」
「いいんだよ。」
今度は、腕の中。
たくましい胸板に頬を寄せる。
「俺がしたかったんだからな。それに、喜ぶおまえの顔見れたから十分だ。」
ひらひらと舞う雪がとても綺麗で。
そんな雪すらも愛しく見えるくらい。
「この雪もホワイトデーのお返し、ってな。」
悪戯っぽく笑った土方先生の言葉。
その通りだと私は思うから
「そう思ってました。」
笑って答えたら
「なんだよ、お見通しだったか。」
やっぱり笑う土方先生の声が聞こえてきた。
ちょっとだけ特別なホワイトデー。
土方先生の部屋でも、温かい紅茶とクッキーをいただいて。
忘れられない一日になった。