宮古湾海戦――
後にそう呼ばれるようになったこの戦いは、旧幕府軍の惨敗で幕を閉じた。





私は、夜も明けきらぬうちから、土方さんの帰りを待っていた。
夜襲で奇襲、更に船上での戦い。
土方さんは、私が行くことをよしとせず、懇願するように残るよう言われ、折れるしかなかった。
今度の戦いが今までにないもので、土方さんも大鳥さんも無茶だといった計画だ。
土方さんの気持ちもわかる。だから今回は、五稜郭で待っていた。
ひたすら、祈るように。彼が無事に帰ってくることを。
ただ傍にいないだけで心はぼかりと開いて、たまらない不安と恐怖に襲われた。

「土方さん…。」

私の声は、風に乗って消えていく。
どうか、ご無事で………。



「退却!退却!」

味方の一発の銃声に何が起きたのかと、顔をしかめた。
ほどなく聞こえたのは、無情にも退却を告げる声。

「退却だ!」

味方の船から伸びたロープに、

「くそったれ!」

思わず口をついた悪態と共に刀をしまい、しっかりと捕まり、敵船から退却する。
実行隊を先の暴風雨で使えなくなった。こちらは回天だけで相手は8隻。
船の看板には、力を落とす隊士達。決死の覚悟で臨んだこの戦いは大敗だった<。

「おまえ達はよくやった。」

隊士達にそれ以上の言葉は駆けられず、敗戦の重い雰囲気を載せたまま函館へと帰還した。



港へと近づく小型ボートに、土方さんの姿を見つけて、思わず駆け出していた。
よかった…土方さんは生きている…
船から下りた土方さんの姿に、ホッとしたと同時に、
悲壮な痛々しいまでの彼の想いが伝わってきたようで、手放しに喜べなかった。
私の顔を見ると、小さな重いため息一つして、搾り出すようにして告げた。

「……作戦は、失敗した…。」

言いながら淀んだ彼の視線。

「そう、ですか…。」

それ以上何も言えず、ただ、そんな彼の傍にいる以外何も出来ず。
沈黙を破ったのは、土方さんだった。

「もうじき函館は戦場になる。千鶴、おまえは…」

土方さんが何を言おうとしているのかわかった。

「いやです!私は最後まで土方さんのお傍にいます!」

きっと土方さんはこの戦いで壮絶な戦いを経験したのだろう。
負けてしまったことで、函館が戦場になってしまう。
それが、私の身に危険を及ぼすことになると。
だから、私に函館を離れろという。

でも、私は決めたのだ、もう知ってしまったのだ。
この人の傍を離れない、離れられないってことを。
この作戦の間、自分の身が引き裂かれる思いだった。
自分の知らぬところで彼が命を落としてしまうのではないか。
また、自分の身を省みず、無茶な戦いをしているのはないか。

私は、ただお傍にいたかった。
最後まで。



「千鶴、おまえは…」
「いやです!私は最後まで土方さんのお傍にいます!」

函館から離れろ、そう告げる筈だった言葉は、悲痛な悲鳴に遮られた。
傍にいる、と千鶴は言う。
涙を溜めて、でも、凛とした声で。
それだけで、こいつがどんな想いで俺を待ち続けたのか、それを知った気がした。

ガトリングガンが使用され、何人もの味方が、隊士が、将が倒れていった。
なす術なく、退却した。
もう新選組の行く末はわかっている。
新選組は負けるだろう。

だが、千鶴にだけは生きていてほしいと思った。
手放せないと思いながらも、
あの戦いに千鶴を連れて行かなかったことに胸を撫で下ろした自分がいる。
だから、函館から離れろと告げるつもりだった。

帰還してすぐに、俯くようにしていた、
切ないまでに祈るようにしていた千鶴を見つけた。
本当は、傍に置いておきたい。
内心、千鶴の顔を見て安堵した。
同時に、生きて帰った自分にも安堵した。

泣くまいと堪えているのか、視線を外さずに懸命に訴える千鶴に、自然と腕が伸びていた。
ぐっと、その肩を抱く。
温もりを確かめるように。

生きたいと思った。
千鶴という存在の為に。

それでも、これから新選組は死地に向かう。
この戦いで得たものは、犠牲、だった。
新幕府軍との歴然とした力の差。
黙って傍にいる千鶴だけは、犠牲になどしたくない。

戦場になると知りながら、この戦いが決して楽なものではなく、
厳しいものになることを知りながら、千鶴はそれでも傍にいるという。

「……っ…!」

その温もりを確かめた時、堪えきれなくなった。
目の前で死んでいった隊士、うちひしがれた隊士、泣き崩れた隊士。
ただ退却するしかなかった自分達。
死に場所をここだと決めていた。そんな隊士どもと共に。



痛いほどこめられた、肩を抱く土方さんの腕が、微かに震えていた。
聞こえてきた嗚咽にも似た声ならぬ声に、
そっと顔を見れば、漆黒の髪がまるで隠すようにしている。
唇を血が出るくらいかみ締めていた。

泣いている。

そう思った。
涙を流さずに、この人は泣いていた。
傍にいることしか出来ず、でも、にわかに強められた腕の強さに、
今は土方さんが私が傍にいることを求めているようで、小さく震える彼の体に寄り添った。

いろんなものを抱えている彼の腕は、まるで私の温もりを確かめるようにしている。
この作戦の中で、一体彼の中で何があったのか、それはわからないけれど。

私は傍に居ます。
例え、ここが戦場になり、新選組がどんな道を辿ろうとも、
私はあなたのお傍で新選組とあなたの生き様を見届けたいんです。
土方さんのお傍にいれればそれでいいんです。

黙ったまま、彼の嗚咽に似た声に、私まで泣き出しそうになるのを我慢しながら。
土方さんが、生きることを願っていた。
私が傍にいるのは、生きてほしいから。
涙なく泣く彼の姿は、もしかすると生きようとし始めたのかもしれない、ふとそんなことを思った。





雪解けを待つ新政府軍。それまでの僅かな時間。
二人の関係が少しずつ変化し、想いを通わせることとなる。
そして、後に函館戦争と呼ばれる戦いが始まるのだった。