愛した女と寄り添い過ごす日々。
それが、どれだけ愛おしく幸せなことか。
少し前まで生きるか死ぬかの戦の最中にいた筈なのに、
遠い昔のことのように錯覚してしまうほど、俺は穏やかな時間を過ごしていた。

死に一番近い場所にいた。
あの動乱の中、まさかこんな暮らしをするなんてことは、
手に入らない未来として、京に出る時諦めたものだ。
それが今ここにある。

勝手場から、千鶴が夕餉の片付けをする音が聞こえて来る。
形だけとはいえ祝言をあげ、夫婦となり、何か目に見えないものが温かく変わりゆく。
いつしか少女から女へと成長したその横顔。襷をかけて、黙々と進めている。
それすらも愛おしいものとして、幸せだと教えてくれるようだ。

千鶴の存在が愛おしい、とふいに溢れた想いに苦笑する。
一回り程歳が離れている。女は千鶴が初めてではない。
が、これほど誰かを愛して、愛おしいと想えたのは千鶴が初めてだった。

――千鶴がいれば俺は十分だ。

この地での暮らしが始まる頃、千鶴に言った言葉は、
日々を過ごす程確かな真実となった。
千鶴と暮らすこの暮らしが、何よりもかけがえのないものだ。
誰よりも惚れた女との暮らしが。

千鶴は、片付け終えたのか、手を洗い手ぬぐいで拭いている。
襷を取り、沸かしてあった湯に手をかけようとしていた。

「歳三さん、そろそろお……。」

千鶴を眺めていると、千鶴が振り返り当たり前に目が合う。
途端に頬が染まる。

千鶴は未だに慣れない。俺の一言、仕種、行動。
千鶴に向ければ、羞恥と照れと嬉しさを混ぜて、頬を朱に染める。
時に言葉より雄弁に、千鶴の心を語る。
それと同じように、俺も千鶴の千鶴らしいその様を見飽きることも見慣れることもなく、
何度見ても寧ろ堪らない愛おしさを感じるのだ。

「と、歳三さん、もしかしてずっと見てたんですか!?」

上擦った声に、やっぱり羞恥と照れとが混じっていた。

「まあな。」
「…っ…。」

素直に答えてやれば、次の言葉が見つからなくなったらしい。
そのままの状態で固まってしまう。

「千鶴。」
「はい…。」
「こっちに来い。」
「…あ、あのお茶は…。」
「後で構わねえよ。」
「でも…」
「いいから。」

手招くと、それでも千鶴は俺の元へと来る。
その手を引いて自分の腕の中へと抱きしめた。

「歳三さん?!」

この腕の中に、まるで誂えたみたいに納まる小さな体から伝わる温もりがただ愛しい。
俺らしくもなく、珍しく感傷に浸ってしまったか。

「歳三さん?」

今度は気遣わしげに呼ぶ声に、俺はそっと囁いた。

「なんでもねえよ。ただ、おまえが愛しくてどうしようもなくてな。」

途端に耳まで真っ赤になっている。

「いつかおまえは言ったよな?人の夢と書いて儚いと読む、と。」

『歳三さんとこうして幸せに過ごす日々が儚くてどうしようもないんです。
でも、儚いからこそ大切にしたくて、まるで、夢のようだから。
私にとって、夢でしたから。歳三さんと幸せに暮らすことは。
だから、儚いって字は人の夢って書くんです。
例え、儚いものだとしても、それはとても幸せだからなんですよ。
だから、私はいつも幸せで満たされると泣いてしまうんです。』

なんだか訳わからないですよね、そう寂しげにも見えた笑顔に
儚いという千鶴の言いたかった意味がわかった気がした。

「覚えてらしたんですか。」
「当たり前だ。それに、今、おまえが言った意味がわかった気がするんだよ。」

千鶴を抱く腕の力を少しだけ込めた。
愛しくてたまらない千鶴とのつつましくも幸せな日々。
大事に大事にしていきたいと思うのは、儚いものだと、
俺自身が夢のようだと思っていたからだろうか。
幸せってもんに慣れず、どこかで恐れていたのだろうか。

こんなに失いたくないと思うほど、誰かに心底惚れたのは初めてだ。
ただ、心底愛した女がいるだけで、俺には十分過ぎる幸せだ。

数多の戦いの最中にいたあの頃には、到底こんな平穏な日々が過ごせるなんて、
それこそ夢にも思わなかった。
戦いに生き、戦いに死にいくことだけに懸けていたあの頃。
いつしか、千鶴の存在に生きる意味を見つけた。

「おまえはずっと俺の傍にいろ。」

幸せが夢のようだというなら、儚いというなら、
いつまでもこいつが幸せだと笑えるように。
それが、己の幸せであると。

「おまえが言う儚い幸せってもん、積み重ねていってやろうぜ。 もっと幸せになろう。」

微かな振動が腕に伝わってきた。
ああまた泣いてやがる。

「といっても俺はな、こうして心底惚れたおまえがいるだけで十分幸せなんだがな。」

ぎゅっと俺の着物を掴む。
どうしたってこいつはすぐ泣きやがる。

「千鶴。」

優しく名を呼べば、身じろぎして新たな涙を溜めたまま俺を見上げてきた。
――幸せだから泣くんです、その言葉を証明すがの如く、
涙に濡れながらも千鶴の顔は、俺からもわかるほど満ち足りた綺麗な顔をしていた。

「私も歳三さんがいてくれるだけで幸せです。」

ぽた…と一滴。

「泣いてんのか笑ってんのかハッキリしろ。」
「歳三さんがいけないんですから。」

それもそうか。
だったら

「だったら、その涙がかれるくらい幸せにしてやるさ。」

千鶴はやっぱり涙を零しながら笑う。

「はい!」

なぁ千鶴。
俺の手は血に染まっている。
それでも、おまえは俺のことを愛しているという。
残り少ないかもしれないこの命、そんなおまえの為に捧げてやるさ。

伝う涙を拭ってやりながら、いつだって俺を支え、俺を救い、俺を惑わせ、
俺への愛を紡ぐ唇に、確かな愛情を持って口付けた。