千鶴が函館に渡って数日。
突然、土方が体調を崩した。
大鳥は、

「雪村君が来てくれたから、土方君も安心したんじゃないかな。」

土方の横でそう楽しげに笑っていた。
土方は否定もせず肯定もせず、不機嫌な眼差しで大鳥を睨んでいた。

「あはは、図星みたいだね。ゆっくり休むといいよ。いい機会なんだしさ。」
そんな土方の視線は、あっさり受け流し、
じゃあ雪村君あとは頼んだよ、とひらひら手を振って土方の部屋を出て行った。

「土方さん、大丈夫ですか?」
「ったくどいつもこいつも大げさなんだよ。」

むすっと不機嫌な顔で、でもどこか辛そうなまま、ぶっきらぼうに言い放つ。

「仕事仕事で一向に休んでくださらないのがいけないんです。」

その横で、口を尖らせている千鶴がいる。
その瞳は心配そうに揺れていた。

「ずっとこんな無茶してたんですか?」

千鶴は、咎めるのでもなく、責めるのでもなく、寂しそうに土方に聞いた。
その瞳はいつの間にか涙を溜めていた。

「なんで泣くんだよ。」

頬を伝う前に土方の手が伸び、千鶴の涙を拭った。

「すいません、こんな時まで土方さんにご迷惑をかけて。」
「迷惑じゃねえよ。心配かけて悪かったな。」

不機嫌にゆがんでた土方の表情は、
申し訳なさそうな悲しげな笑みに変わっていた。

「大鳥さんが言ってたことは本当だ。」

千鶴は泣き出しそうになるのを必死に堪えて、彼の額の手ぬぐいを替えていた。
そんな千鶴を見ながら、ポツリと土方は零した。

「え?」

そんな言葉に束の間、千鶴の手が止まり、土方を見やる。
土方の瞳はひどく優しかった。
千鶴は、その瞳にドキリとしてすぐに手元に視線を移し、
ひんやりとした新しい手ぬぐいを土方の額に乗せた。
でも、先ほどの土方の瞳を思ってか、千鶴は視線を合わせられずにいる。

「千鶴。」

熱によって少し掠れた優しい声が千鶴を呼んだ。

「千鶴。」

もう一度呼ばれて、やっと千鶴は顔を上げた。
その頬は朱に染まっていて、土方の顔に笑みを灯した。

「おまえが来るまで、それこそがむしゃらに、だ。」

微かに息が混じりながら、土方は静かに語りだした。

「今よりもですか?」

千鶴が来てからの数日も土方は殆どの時間を執務室で、仕事に忙殺されている。
それこそ千鶴が来た日は夜で、その後休んだと言えど、
それからは睡眠時間を削って、屯所にいた頃のように働いていた。

「今は随分とマシになったんだぜ?
【それまでの君はとてもじゃないけど近寄れなかったし、まるで鬼のようでさ。
それにいつ倒れるんじゃないかとひやひやしてんだ。
ぎすぎすしていたというか、危ういというか。】なんて大鳥さんに言われたよ。」
「どうして…そんなに自分を追い込むような…」

土方は、漸く視線が重なった千鶴の瞳を捕らえて、
気遣わしそうに彼の体に添えられていた千鶴の手を取り、
熱で高くなった体温の己の手で握り締めた。

「おまえがな、いなかったからな。」

その言葉に、千鶴の瞳が見開かれる。

「てめえの都合で手放した筈なのに、
ずっとおまえのことが気になってたんだよ、本当は。」

熱のせいか、それとも照れているのか、土方の目元が微かに朱が挿している。

「後悔してた…わけじゃねえ。いや、してたかもしれねえ。
でも、どうしてもおまえをこの地に連れてくることは出来なかった。
おまえを苦しめたくなかったし、辛い想いをさせないためにな。」

千鶴は黙って土方の言葉を聞いていた。
千鶴を見つめる土方の瞳は、今までで一番の優しさと温かな瞳があった。
千鶴が見る、一番の穏やかな表情をして。

「おまえが最初にここに来た時にも言ったと思うが、
おまえがいない間自分の足でひとりで立つのすら息苦しく感じた。
自分が自分でないようで、いつもおまえのことを考えて、
だからそれを追い払うっていうのも変な話だが、
何も考えない為にはがむしゃらに仕事をしていたんだ。」
「土方さん…。」
「自分の中で荒れちまってたんだろうなぁ。」

土方はとんだ大馬鹿野郎だ、と自嘲して笑う。

「だからな、大鳥さんが言ったことはまさに図星で何も言えなかったんだよ。
悔しいことにな。自分の知らないところで。
本当てめえで手放しといて勝手な話だよな。」

千鶴は静かに首を振った。

「しかも、それで体調崩すたあなんとも情けねえ話だ。」

困ったように土方は笑顔を作る。

「そんなこと、ないです。
こんなこと言ったらおかしいかもしれませんが…嬉しいです。」
「そうか。」

千鶴の言葉に土方はどこか安堵したように嘆息した。

「もう自分を追い込むような仕事はしないで下さいね。」
「千鶴が来てからはもうしてねえよ。」
「それでも、私が来てからも殆ど寝ずに働いてらしたでしょう?
休んでいただきますからね。」

いつもの剣幕で言い切った千鶴に、土方は目を細めた。

「本当かなわねえなぁ。」
「江戸の女ですから。」

ふっと笑みにも似た息が土方から漏れた。
千鶴は、ずっと喋っていた土方を気遣った。

「土方さん、大丈夫ですか?ずっと喋り続けていたでしょう?」
「大丈夫だ。俺はそんなにやわじゃねえよ。」

軽口を叩くもやはり辛そうだった。

「少し、休んで下さい。」
「だから大丈夫だって言ってるだろう。」
「ダメです。今日は私の言うことを聞いていただきます。
だから、早く、元気になってくださいね?」

再び千鶴の瞳に涙が溜まり、つうっと一筋涙が伝う。

「わかったよ。これ以上泣かれたらたまんねえからな。」

空いてる片方の手を千鶴に伸ばし、涙を拭う。
千鶴の頬に土方の熱が伝わる。

「千鶴、おまえどうせ俺の看病するってんでそこにいる気なんだろ?」

土方は千鶴の心を見透かしたように言った。
もう、その声に力はない。

「えっ?あ、はい…。」
「だったら…、しばらくこうしてそばにいろ。」

片方の手はしっかりと握られたまま、土方の胸元へといつしか引き寄せられている。
言い終えた土方からは、寝息が聞こえていた。
立てられた寝息は、安らかと言うよりは少し荒いようだ。
握られた土方の手からは、数日前抱きしめられた土方の温もりより高い体温が伝わってくる。

「おそばにいます、どんな時も。」

そっと、土方の頬に触れ、囁くように千鶴が告げた。
土方の言葉は、千鶴の心を、 愛しさと嬉しさと安堵とこの人の為の力になれているという喜びと、色んな感情で満たしていく。

「土方さんに言われなくてもおそばにいるつもりでしたから。ゆっくりお休み下さい。」

土方の寝顔を千鶴は眺めていた。
やがて、休んでいるうちに少しは回復してきたのか、寝顔も寝息も安らかなものへと変わりゆく。
そのことに安堵して、土方に誘われるように、千鶴も土方のすぐそばで眠りに落ちていった。













タイトルはお題サイト「4m.a」様よりお借りしました。