「なんだか慣れねえな。」

苦笑した土方がぽつりとこぼした。
土方が何を言いたいのか、その表情を見て察したのか、
千鶴がクスリと笑って、その言葉に答える。

「土方さんは今まで働きすぎなんです。」

そこに少々拗ねたような色が加わり、土方はその苦笑を益々深めた。


とうに葉桜が終わり、新緑を迎えた函館の地。
障子開け放しの部屋に、気持ちいい風がそよいでいる。
戦が終わりいくばくか、穏やか過ぎる緩やかな時間が流れている。

羅刹としての力はすでになくなり、
常人並の回復となった土方の戦で受けた傷は未だ癒えず、長い療養を強いられていた。
襦袢のまま半身を起こしている土方の肩には、千鶴の手により羽織りが掛けられていた。
千鶴は、そんな土方に寄りそうように隣に座っていた。

「これまでどれだけの方が、土方さんに休むようおっしゃったかおわかりですか?」
「仕方ねえだろう、俺がやらなきゃならねえ仕事が山ほどあったんだから。」
「それでも働きすぎです。近藤さんがよく歎いてらっしゃいましたよ。」

さすがの土方も近藤のことを出されると弱いのか、押し黙る。

「土方さんは今まで休み返上で働いてこられたんです。
 その休みがまとまって戻ってきたと思えばいいじゃないですか。」

戦のことを考えず、何をするでもなく、ただ添いたいと想った人と過ごす日々。
それはあまりにも凪いでいて、土方はなかなか慣れなかったのだ。
千鶴の瞳が、ほんのわずか、心配そうに揺れた気がした。
それを見逃さなかった土方は、苦笑を優しい微笑みに変えて、千鶴の頭をポン…と撫でる。

「安心しろ。慣れてねえだけだ。何しろこんな風に過ごすのは初めてだからな。
 長い間キリキリ働いてたんだ、すぐに慣れろってのは無理な話だろ?」
「それはそうですけど…。」

まだ千鶴は納得のいかない様子だ。

「心配しすぎなんだよ、おまえは。
 今更生き急いでどうすんだ、せっかくおまえとの暮らしが手に入ったんだ。」

違うか?
付け加えられた少しからかいを含んだ言葉に千鶴は違うと首を振るが、
その前の真っ直ぐな土方の言葉にほんのりと頬を染める。

「心配にもなりますっ。」

いじけたような口調で照れ隠しに千鶴が言う。
可愛らしい千鶴の反応に目を細め、そのまま清々しいほど澄んだ青空へと土方は目を向ける。


『トシがやっと休んでくれたぞー!これで俺の肩の荷も降りる……。』
『ああ近藤さん、それくらいで泣かないでくださいよ。
 ほら、土方さん、あなたのせいで近藤さんが泣いたじゃないですか。』
『総司、そう副長を責めるものではない。』
『一君、土方さんのことでどれだけ近藤さんが気を揉んだか君にはわからないんだよ。』
『総司それは違うぜ。一君は近藤さん以上に土方さんを心配してたぜ。な!』
『俺も平助に賛成だな。しかしすっかり鬼の仮面が取れたよなぁ、土方さん。』
『左之の言う通りだよな。』
『でもさ、また土方さんがあの頃みたいになったらどうしようか。』
『そんなの決まってるだろ。』


――その時は………


「それは困るな。」
「へ?」

空を見上げていた土方が、片眉下げて困ったように笑う。
唐突にも思えた土方の言葉に、千鶴が目を瞬き首を傾げる。


――なぁトシ、もういいだろう。みんな嬉しいんだ。
  何しろ今のトシは、俺でも見たことがないくらい、幸せな表情(かお)をしているぞ。


そうかもしれねえな。
心の内だけで頷いて、千鶴に視線を戻した。
その土方の瞳は、千鶴の心臓一跳ねさせたほど優しい眼差しだった。

「ひ、土方さん?!」

やや上擦った千鶴の声が土方を呼ぶ。
傷が治ったら、ちゃんと言ってやろう、みるみるうちに頬を染めた千鶴に土方はそう思った。

「千鶴、ありがとな。」

軽く握られて膝の上に置かれた千鶴の手に、土方はそっと添えてその手を握る。

「これからは慣れていかねえとな。」
「…はい!慣れてもらいますから。」

染まった頬そのままに、千鶴は土方の手を握り返して、ふわりと花のような笑顔を浮かべた。

「まずは早く治してくださらないと。」
「ああそうだな。」