「土方さん、雪村です。」

軽いノックと共に千鶴の声が聞こえてきた。

「入れ。」

いつものように短く返事をすれば、カチャリとドアが開く音がする。
しかし、夜も深い時間だ。
まだ千鶴が函館に来て数日。
いくらこれまでいた仙台も北の地だったとはいえ、
それより先、海を渡った蝦夷は更に冬は厳しい。
まるっきり違う環境は慣れぬはずだ。

「お茶をお入れしました。」
「悪いな。あっちに置いといてくれ。」
「わかりました。」

この数日で俺のここでの行動を把握したのか、
変わらず交わされるそんな会話は、すっかりこの部屋に馴染んでしまった。
コトンと小さな物音がする。
千鶴が茶を長椅子の前にある机に置いたのだろう。
キリがいいところで筆を置き、長椅子へと移り腰かければ、合わせたように千鶴が隣に座る。
その横顔を盗み見れば、やはり疲れたような顔色が覗く。

「これから千鶴の分も茶を持って来い。」

夜も深いこの時間、決まって千鶴は茶を持ってくる。
大概、その日の最後の千鶴の【仕事】になる。
千鶴の茶を啜り、小休止を入れるのがいつの間にか習慣化していた。
俺が飲み終わり仕事に戻るまで、千鶴はこうして俺の隣に座って、僅かな時間を共有していた。

「え?」
「おまえもそうして休め。」

笑っていってやれば、千鶴も嬉しそうな笑顔に変わる。

「はい。」
「大体俺に合わせておまえまで起きてる必要はねえんだぞ?
 こうして茶を持ってきてくれるのはありがてえがな。」
「大丈夫ですよ。それに土方さんがなかなか休まれないから。」

だから私も起きてるんです。
真っ直ぐな口調でそう言いながら、どこか眠そうに見える表情は嘘をつけない。

「気持ちは嬉しいんだが、無理して倒れられちゃ俺が困るんだよ。
 それにまだこっちに来て日が浅いんだ。変わった環境に慣れるので一杯だろう。」
「確かに蝦夷は今までいたところと違いますけど…。」

言い返せないのか、むぅっと頬を膨らませて悔しそうにむくれる辺り、
まだ子供だなと思うがこいつの愛らしい一面である。

「土方さんがこんなにお仕事されているのに、私だけ休んだりするわけにはいきません。」

まったく強情な女だ。
かと思えば、千鶴の表情が翳る。

「あっでも土方さんのお仕事のお邪魔だったりご迷惑になるんでしたら…」
「んなことはねえから安心しろ。」

俯き加減の小さな頭に優しく手を乗せて言葉は掛ければ、
途端に千鶴は心底ほっとしたように息を吐く。
邪魔だの迷惑だの思ったら、当の昔に執務室から追い出してるし、
今でも容赦なく邪魔だと言い切っていただろう。
千鶴が来てからというもの、
この部屋に千鶴がいることがまるで当たり前のようになっていて、
忙しく筆を動かしてようが、書類に追われていようが、
ある種の居心地の良さを感じていたくらいだ。
寧ろいない方が迷惑だ。

「本当ですか?」
「ああ。」
「だったらよかったです。」

ふわりと笑う姿はいつ見ても綺麗で、だけどやっぱり今日はいつものような輝きが少ない。
それだけこいつが疲れているという証拠だろう。
だが、さっきのように真正面から言葉で言えば、頑なな千鶴のこと。
同じようなやり取りをするのは目に見えてる。
ならば、と俺は茶を啜って行動に出る。
それまで頭に乗せていた手をその華奢な肩に回し、自分の方へと引き寄せる。
僅かな隙間があっという間に埋まり、触れた体が息を飲むように固まったのがわかった。

「ひ、土方さん?!」
「大人しくよっかかってろ。疲れたような顔をしやがって。」

さすがに多少の自覚はあったのか、千鶴が押し黙る。
少しの間があって、か細い千鶴の声がした。

「……そんなことありません。」

どこまでも違うと言い張る千鶴に、思わずため息が漏れる。

「俺の前で無理をする必要はねえんだぞ?」
「……。だって…土方さんのお傍にいたいですもん。」

漸く力を抜いて、俺の方に体を預けた千鶴から零れたのはそんな答えだった。
そう言われちゃ、何も言えなくなっちまう。

「だからってそれで倒れたら本末転倒だろうが。俺はおまえが心配なんだよ。」

仙台の時のように倒れられたら俺が困る。
茶を一飲みして千鶴の返事を待つが、なかなか千鶴の声が聞こえてこない。

「千鶴?」

静かになった千鶴の顔を覗いてみれば

「寝ちまったか。」

思わず笑みが零れるほど安らかな寝顔で寝息を立てていた。

「ったく。」

こぼれたため息が優しかったことに気付く。
きっと今の俺はとても他の人には見せらんねえような顔をしてんだろうな。
無防備に俺の腕の中で寝息を立てる千鶴を見てると自然と落ち着いた気持ちになる。

疲れてたんだろうな。

こうすれば少しは千鶴も甘えてくれるだろうと思って、
その体を抱き寄せたのだが、どうやらそれは間違いではなかったらしい。
半身にかかる千鶴の重みがとても愛しいもののように思えてならない。
安心しきった寝顔は、そこに込められた千鶴の想いを表してるかのようで。
どこか笑っているかのようにも見えるのは俺の気のせいか。
そんなこいつ見てたら俺まで眠くなってしまうようだ。

「俺も休むか。」

少し残っていた茶を飲み干して、千鶴を抱き上げると、奥の寝室へと千鶴を運ぶ。
ベッドに千鶴を下ろし、自分もその隣に横になる。
離しがたい温もりをもう一度自分の方へと抱き寄せると、
無意識なのか擦り寄るように寄り添ってきた。

「ゆっくり休めよ。」

千鶴の髪紐を解けば、手にさらりとした柔らかい髪の感触。
額にそっと唇を寄せた。

「おやすみ、千鶴。」





お題「頑張りやな君へのお題」10.君の癒しになれますように
お題サイト「恋したくなるお題」様よりお借りしました。