繋がれた手だけが頼りの夜の道。
家の近くの小さな山間を歩く二人の音だけが、耳に届いていた。
「千鶴、蛍見に行くか。」
夕餉の時間、提案したのは土方だった。
少し前、蛍の季節だと話をしたのは他愛ない日常の中。
その時蛍を見に行こうと言った言葉を、土方は違えることなく実行に移したのだ。
それでも急な話。
「今日、ですか?」
「ああ。」
「これまた突然ですね。」
驚いた千鶴が目を瞬かせながら言った。
「今日買い物に里に下りただろ?その時に穴場があると聞いてな。」
前に行こうと話をしたし、ちょうどいいと思ってな
柔らかな表情で眼差しで見つめる土方からは、千鶴への愛情しか伝わってこない。
「千鶴が行きたくねえなら話が別だが。」
「い、いえ!」
そんな土方の視線を受け止めるには、どこか気恥ずかしく、
少し頬を染めながら千鶴は視線を土方から膳へと移した。
「行きたいです。ただ突然だったからびっくりしただけで。」
「そうか。なら夕餉が終わったら行くとするか。」
そうして二人は蛍狩りに出掛けたのだ。
春の名残を残す風はやはり少し肌寒さを感じる。
繋ぐ手と、寄り添うところから伝わる体温が、その分温かく心地いい。
歩くこと数分、さらさらと耳に気持ちい小川の流れる音がする。
「……綺麗…。」
キラキラと光を受ける小川がはっきりと目に飛び込んできた。
更に近づくと、感嘆の声が千鶴の口から零れ出た。
今宵はまだ三日月の頃に近い月。
新月に近い夜に映える、光を灯すのは幾千にも見える蛍の光。
暗い闇に浮かぶ蛍の光が、小川にも鏡映しでその光が映る。
時に千を夜闇に映し出し、残像のように光が仄かに浮かぶ。
数は数え切れない程の蛍。
さながら星空が地上に降りてきたよう。
淡い光が彩る夜の闇はとても儚いもののように見える。
土方は、蛍が作り出す情景に見惚れている千鶴の横顔を、何の気なしに見つめた。
淡い光は千鶴が持つ弱さと強かさとを表してるかのようで、
そんな光に包まれる千鶴をより綺麗に映し出していた。
自然と離れた手を千鶴は掬うような形で合わせ、浮かぶ蛍を包もうとする。
けれど、掬うことなどそう簡単には敵わない。
千鶴の肩を土方が抱き寄せた。
「綺麗ですね。」
「そうだな。」
千鶴は頭を土方の方に預け、土方と共にまた蛍へと視線を戻す。
儚い蛍の光は、そして幻想的な光を灯す蛍の儚い命は、
自分達にも似ているようなそんな気がした。
ただでさえ数多の戦を潜り抜けてきた土方は、
羅刹になり、文字通り自分の命を削っていた。
いつ寿命が尽き、灰となりいつ消えてしまってもおかしくない中、
つつましくもささやかで、幸せだと思える日々を送っている。
泡沫のように心もとなくて、春の陽射しのように優しくて、だけど、とても温かで心強い。
目に映る蛍の仄かな幻想が、あまりにも綺麗であまりにも儚くて。
つぅ…っと蛍を見る千鶴の瞳から涙が零れ落ちた。
「また余計なこと考えてただろ。」
土方は困ったように笑いながら、
手つきは壊れ物に触れるかのような優しさで、千鶴の涙を拭う。
「すいません、つい。あまりにも蛍の光が綺麗で……儚くて。」
自分と重ね合わせてしまいました、と。
土方を悲しませまいと、笑顔を作る。
多くの蛍の光に照らされて、溜まった涙と既に流れ落ちた涙のあとを程よく照らされて、
尚一層千鶴が流した涙のわけを浮き彫りにする。
「そんなこったろうと思ったよ。」
千鶴を見下ろす土方の表情は、それはそれは優しい微笑みで。
整った顔立ちをしている分、そこに更に蛍の光が加わって、より綺麗なものと見せた。
「わからなくもねえがな。蛍は人間の霊魂の姿だと言い伝えられるのだという。」
「人間の霊魂、ですか?」
「ああ。だとしたら、春には桜に、夏には蛍に、秋にはアキアカネに、
冬にはこの地に降り積もる雪になり、おまえの傍で見守ることが出来るんだろう。」
それから一呼吸。
「そういえばおまえと蛍を見たのは初めてだったな。」
「…はい。」
「蛍の中にいるおまえは本当に綺麗だ。」
心が込められた言葉に、千鶴が頬を染める。
「だから、そうは思っても俺はそう簡単に蛍にはならねえよ。
もっとこんな風に、千鶴を見ていたい。ずっと見ていてえくらいだ。」
眩しいものを見るかのように、土方の目が細められる。
ただ愛しいと、千鶴を見る土方に、千鶴がたまらず視線を外した。
「千鶴。」
土方の手が千鶴の頬に触れた。
触れた頬が、濡れている。
千鶴が土方の手に自分の手を重ねた。
「歳三さんとこうしていられて、凄く幸せで胸がいっぱいで……。」
涙を拭った土方が、千鶴と手のひらを合わせるように手の向きを変えた。
それから力いっぱいその手を握った。
千鶴も力を込めて握り返した。
「俺は来年も再来年もそのまた次の年も千鶴と見るつもりだが?」
笑顔を深めて土方は言った。
「はい…!」
千鶴も花のように笑顔を綻ばせる。
「それにあんなに綺麗な千鶴を他のやつらに見せる気はないしな。」
「…!もうさっきからそればっかり……。」
再び頬を染める千鶴。
「仕方ねえだろ、綺麗だったんだから。」
「歳三さん、蛍見てました?」
「当たり前だろ?」
淡い光が暗く隠れる。
柔らかな唇が自分のに重なった。
「永遠なんてな、自分達で作るんだよ。」
離れ際、土方が囁くようにしながら言葉を紡ぐ。
緩やかに千を描いて、光っては消え、
光っては消える仄かなきらめきが、千鶴の瞳に映る。
もちろん、土方の瞳にも映る。
「俺は、おまえの中で永遠に生き続けてやる。
幸せを積み重ねていきゃ千鶴の中に俺は残るだろう。俺の中でもそうだ。
一瞬の積み重ねだ。こんな日が続けばいいと俺だって思う。少しでも多く。
その為に俺は足掻きつづけてやる。おまえと。
おまえが考えている通り、明日をも知れぬ毎日で、儚い蛍の様かも知れねえが、
こうして俺はおまえの隣にいて、おまえの目に映っている。
まだまだ俺ら生きていけるじゃねえか。
蛍の光だって光っては消え、光っては消え、一瞬では終わらねえんだ。」
「そうですね。」
あまりにも綺麗な蛍は、それ故儚さを醸し出すのかもしれない。
二人の周りには幾つもの光が漂う。
「本当におまえは綺麗だな。」
先程までの真剣な真っ直ぐな口調とは違い、
たっぷりの愛情を載せた声音で千鶴に告げた。
「そっそんな風に言わないで下さいっ。」
熱を孕んだ土方の声に、抗議の声を上げる。
「心臓がいくつあっても足りなくなりますっ。」
千鶴は顔を俯かせてしまう。
その足元にも蛍が飛んでいた。
初々しいといえる反応は、綺麗さの中に幼さを思わせる可愛らしさを匂わせる。
「嬉しいこと可愛い反応でしてくれるじゃねえか。」
素直な感想を土方は言う。
千鶴を抱きしめるように腕の力を強くした。
「千鶴、好きだ。」
「…私も、好きです。」
まるで何かに導かれたように、もう一度自然と二人の影が重なった。
「歳三さんと蛍が見れてよかったです。」
「来年もここに来るか。」
「はい。」
千鶴が笑う。
穏やかな微笑で土方は千鶴を見つめている。
頬の熱がなかなか引かせてはもらえない土方の視線だが、
千鶴は満面の笑みのまま逸らすことはかなった。
「歳三さんも綺麗ですね、蛍に照らされて。」
今度は土方が照れる番、だろうか。
千鶴の言葉に
「そうか?」
少しだけ上擦った声と、微かに赤くなった目元、そしてつい…と逸れる視線。
「おまえにそんな風に言われると照れるだろうが。」
千鶴は、さっきまでの陰りは消え、嬉しそうにニコニコと笑っていた。
照れたように笑いながら、それでも、土方は抱きしめる手を離さない。
いつまでもいたくなるような空間。
穴場といっただけあって、二人以外訪れるものはなく、
土方と千鶴、二人の為だけに誂えられたように思える。
もうしばし、浸っていたいもの。
けれど、宵闇はかなり深く、だいぶ長いことその場にいたことを教えていた。
「そろそろ帰るか。」
「そうですね、少し冷えてきましたし。」
最後に、その目に焼き付けるように蛍が飛び交う景色を見た後、二人は帰り道を歩き出した。
来た時よりも二人の距離を近づけて
「綺麗でしたね。」
「そうだな。」
時よりそう微笑み合いながら。
どこか着物に紛れ込んでいた蛍だろうか、それとも二人についてきた蛍だろうか。
数匹の蛍が、そんな二人を照らし導くように、ふわふわと仄かな光を浮かべていた。
ついったーお題(小説用お題ったー)
『揺らめく幻想・合わせたてのひら・君との永遠』