土方は、毎年この場所で桜の写真を撮っていた。
土方はカメラマンである。
ポートレートから風景までを専門とし、多くの雑誌に写真が掲載されている。
中でも土方が好んで撮ったのは桜の写真であった。
同様に、土方が撮る写真の中でも桜の写真はかなり高い評価を受けている。
この年、土方には写真集を出さないかという依頼が舞い込んだ。
どんな写真集にするかは任せるという話で、迷わず土方は
桜をメインに四季を写した写真集にすることを決めた。
今年は去年以上に足繁くこの場所に通い、写真撮っていた。
晴れた桜は満開で、空は雲ひとつない青空、
風も微かに花を揺らす程度、写真を撮るにはこの上ない天気。

桜の木々と花びらがまばらに散る緑の土手に走る小道に空をいれ、
春の景色を写そうとファインダーを覗き、
今まさにシャッターを切ろうとしたその指が一瞬、止まる。
穏やかな風が吹いていた筈なのに、ざぁっと気まぐれか強い風が吹く。
重そうにしている木々を揺らし、花びらを舞わせる。
ファインダーから見る景色が桜色に染まるよう。

カシャ

気が付けば切っていたシャッター。
それは土方の意志、というよりも、無意識に指が動いていた。
今見たものを焼き付けておこうとしたのかもしれない。
息が止まるような、声も出ないような一瞬を切り取らずにはいられなかったのか。
シャッターの音が耳に届いたのか、一人の女が土方を振り返る。
その女が千鶴だった。

「…………。」
「…………。」

カメラから外した土方の視線と、千鶴の視線が絡む。
そして、沈黙。
今は風も収まり、嘘のように穏やかになっている。
ひらひら、二人の間に1、2枚の花びらが落ちた。

「あの…。」

最初に言葉を発したのは千鶴だった。
惚けるようにしていた土方は、千鶴の声にはっと我に返ったようだ。

「悪い。」

千鶴に向けてシャッターを切ったのは間違いない。
無意識に指が動いたとて、本人の承諾なしにシャッターを切ってしまったのだ。
土方は、短い謝罪を告げた。

「あ、いえ…。」

ほんのりと頬に色を乗せながら、千鶴は小さく頭を振った。
土方はその反応に内心ほっとして、千鶴へと歩みを進めた。

「あんまりにも綺麗だったんで、
 気が付いたらシャッターを切ってた。桜が似合うんだな。」

低い声が柔らかく千鶴の耳に響く。
頬に広がった色が、土方の言葉に濃く色づく。
瞳は土方を直視できないのか、微かに桜の方へと向けられる。

「そう、でしょうか…。」
「桜を見に来たのか?」
「はい。ここはあまり人も来ないので、ゆっくり見れるかと思いまして。あなたは…」
「俺はカメラマンをしている。桜の写真を撮りに来てたんだ。」
「カメラマン…?」

土方は、千鶴にわかるようにカメラを見せた。
シルバーと黒のボディのそれは、立派な
レンズがついていて、重量感がありそうな一眼レフ。

「あ、あのさっきの写真…!」

そして、はたと思い出しように千鶴が言った。
それだけで意図していたことがわかったのだろう、
土方は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「悪い。消すことは出来ねえし、今見せてやることも出来ねえんだ。」
「えっと…?」

さっき撮った写真を消してくれないのか、
恐らく千鶴はそう言い出すつもりだったのだろう。
出来ないとあっさり言われてしまい、不思議に思い首を傾げた。
今は何もかもデジタルの時代である。
デジタルであれば、今この場でどんな写真だったか
見ることも出来るし、消すことも出来るんではないだろうか。
なのに、それが出来ないとはどういうことだろうか。
土方は答える前に、カメラをひっくり返して裏面を見せた。
そこには、デジタルなら必ずある筈の
液晶画面も操作ボタンもなく、真っ黒のボディになっている。
あるのは小さなカラフルなものが見える、小さく細長い小窓だけ。

「見ての通りデジタルカメラじゃねえんだ。
 フィルムカメラだ。だから今はどうにも出来ねえんだよ。」

土方の説明び千鶴は何故出来ないのか納得がいった。
そうなれば、小さな細長い小窓から覗くカラフルなものはフィルムなのだろう。

「名前は?」
「え?」

急に話題が変わり、ついていけず千鶴は目を瞬かせた。

「名前教えてくれねえか?」

重ねて言われ

「雪村といいます。雪村千鶴です。」

と自分の名を告げる。

「俺は土方歳三だ。」

土方も自分の名を告げると、柔らかな微笑を見せた。

「千鶴、またここに来い。」

この日初めて逢ったというのに、土方は千鶴を下の名で呼んだ。
けれど、それはすんなりと千鶴の中に入ってくる。

「俺は桜が散るまで毎日のようにここに来て写真を撮ってる。
次に千鶴が来る時には、さっき撮ったやつを現像して持ってきてやるよ。」

肩にかけていたカメラのレンズやフィルムといった
機材が入っている鞄を漁り、取り出しのは名刺ケース。
中から一枚取り出して千鶴に渡した。

「俺の連絡先だ。また、逢えるよな?」

また強い風が吹いて、桜吹雪が二人に降り注いだ。