教員室を出て帰ろうと教室の前を通ると、人影があることに気が付いた。
机につっぷすようにしている姿は、教室に入らずとも、誰と認識が出来た。
近づいてみると、穏やかな寝息を立てていた。

「寝てるか。」

その声に甘さが滲み出ていて、自分で苦笑した。
どうもこいつを前にすると、甘くなってしまう。

「全く…。」

予定にない仕事で残るのはよくあること。
遅くなりそうな時は、待たずに先に帰ってろ、
そう何度も言ってるんだが、こいつは律儀にも俺の仕事が終わるのを待っていた。

「千鶴、起きろ。」

そっと華奢な体を揺すってやる。

暢気な寝顔だな。
垣間見えた寝顔にふっ…と笑みがこぼれる。
でもここは学校の教室。
誰かが見てるともしれねえのに。
相変わらず無防備だというか、なんというか。
他のヤツに見られる前に起こしてしまおう。

「千鶴、千鶴、いい加減起きやがれ。」

さっきより強く揺すってやるっと、目を瞬いて漸く起きた。

「あ…れ?土方先生?」
「他の誰に見える。」
「いえっあっあの…」

慌てて上体を起こすと恥ずかしそうに頬を染めた千鶴の顔がよく見えた。
大方、寝てるところを見られたのが恥ずかしい、といったところか。

「俺でよかったな。」

勿論俺が言った言葉の意味がわかるわけもなく、千鶴は首を傾げている。

「え?」
「なんでもねえよ。で、何してやがる。」

つい強い口調になってしまい、千鶴は、小さな体を更に小さくするように答えた。

「…あの…課題をしながら土方先生を待ってようと思ったんですけど…眠ってしまったみたいです…」

予想通りな答えに、なんというか愛しさを覚えたりする辺り、俺も末期かもしれない。

「はぁ…。」

嘆息すると千鶴の頭をポン…と叩く。

「土方先生?」

怒られるとでも思っていたのか、不思議そうに俺を見上げてきた。

「遅くなりそうな時は先帰ってろって言った筈だが…」
「すいません、やっぱり出来るだけ傍にいたくて」

そう笑われては何も言えなくなってしまうだろ。
ここが学校じゃなかったら間違いなくこいつを抱きしめられたのに。

いや、もう放課後で生徒も殆どいないから大丈夫だとは思うんだが、
それが出来ない自分の性格を呪いたくなる。

「こんなとこで寝てると風邪ひく。それに下手すりゃ他の奴らに襲われるぞ。」

もっとも俺が危惧しているのは後者だが。
何しろここは千鶴以外の生徒は全員男子だ。
それ故、教師も含め学園にいる全員が千鶴を狙ってるようなもんだ。

「俺の気がもたねえだろ。少しは自覚しやがれ。」

そこまで言うといたたまれなくなって目を逸らす。
すると、くすりと笑う声がした。

「なんだよ。」
「いえ…ありがとうございます。あと、気をつけますね。でも…」

思案げに言葉が途切れたのが気になって、顔を覗き込む。

「どうした?」
「あ、あの…ここがダメならどこで待ってたらいいんでしょう?」

どうやらこいつの頭の中には待つ、という選択肢しかないようだ。
こうなったら何を言っても聞かないだろう。
もうこちらが折れるしかない。
だからと言って、俺の目が届かないところで待っていては、気が気じゃない。
ポケットをごそごそを探って、目当てのもを見付けると、千鶴の手を取って乗せてやる。

「これは?」
「俺の教員室の鍵だよ。」
「えっ」

千鶴の顔がぱあっと輝いた。
だったら最初からこうすりゃよかったな。

「待つんなら俺んとこに来い。それなら余計な心配しなくていいだろ。」

俺が、だが。

「お仕事の邪魔になりませんか?」
「だったら渡すかよ。」
「はい!」

嬉しそうに笑いやがる。
他の奴らには見せらんねえな。
早いとこ帰るに越したことはない。

「帰るぞ。」
「あの、お仕事終わったんですか?」
「だからここにいるんだよ。置いてくぞ。」

言葉の割には随分優しい声が出る。
かなわねえ。
「早く来い。」
「はい。」

ガサガサと机の荷物を片付ける音がしたかと思えば、パタパタと足音がした。
教室を出る頃には、千鶴が俺の横に来ていた。

「土方先生。」
「なんだ。」
「いえ、ありがとうございます。」
「ああ。」

自覚してるんだかどうだか。
まぁこれからはその心配はいらなくなったか。

「千鶴。」
「はい?」
「寝顔も美人だな、おまえは。」
「!?」

一気に顔が赤くなってやがる。
可愛いヤツだ。

「放課後になったら俺のとこに来い。
 何か言われたら仕事を言い付けられたとでも言や誰も何も言わねえだろ。
 鬼教官にわざわざ歯向かうヤツなんざいねえさ。」


俺も大概こいつには甘いな。
それに、湧いた独占欲。なかなか嫉妬深いんだな、我ながら思った。