「あれ?雪村君は?」
「あまり調子がよくないようだってんでな、奥の部屋で休ませてる。」
大鳥を見ずに答える土方は、平然と普段と変わらず
仕事をしている筈なのに、少し、寂しげに見えた。
敏感に感じ取った大鳥は、声に出さずに笑ったが、さすが土方、気付いたようである。
「何笑ってやがる。」
「君も人の子だよね。」
鬼と呼ばれ、自分にも厳しく、隊士にも厳しく、冷徹な判断や指示を下す土方だ。
しかし、千鶴のこととなれば話は違うようである。
千鶴といれば、和らぐ雰囲気や表情、千鶴には甘く優しかった。
千鶴の部屋ではなく、自分の部屋でもある奥の部屋で休ませているのも、
千鶴に何かあった時にすぐ傍に駆け付けられるように、という土方なりの気遣いの現れなのだ。
函館の土方の元へと来てからは、片時も離れなかったし、離さなかった千鶴が、
今は傍にはおらず、それもあまり調子が優れないからという理由なら、
土方も気が気じゃないだろうし、寂しいのだろう。
常に土方を心から寄り添い支えているのが千鶴なのだから。
そんな二人を一番近くで見守っている大鳥には手に取るようにわかるのだろう。
「悪いか。」
土方は土方で大鳥にはあらかた気付かれているだろうことはわかっていた。
それ以前に下手に繕ってからかわれでもしたら厄介だ、と思ってるのかもしれない。
「いや、いいことだと思うよ?」
ニコニコと笑いながら、土方の執務机の前に誂えられてある長椅子に座る。
「千鶴の茶目当てなら残念だったな。」
大鳥が土方の部屋に来る理由は、千鶴のお茶と土方のからかいである。
「土方君、雪村君が来てから落ち着いたよね。」
「あんたは変わったと言いやがったと思えば今度は落ち着いたと言いやがる。」
「僕は正直な感想を言ったまでだよ。」
ちらりと大鳥は土方を見やる。
大鳥には目もくれず、筆を進め続けている。
「だって君は雪村君が来るまでは僕ですら近寄れなかったんだから。」
なんで大鳥基準なのか、土方は尋ねようとしたが、
どうせろくな答えじゃないと踏み、黙って仕事を続けることにした。
土方が何も言わないのを諾と取ったのか、大鳥は言葉を続けた。
「触れたら僕の方が怪我してしまうんじゃないかってくらい、
君はギスギスしててピリピリとしたものを孕んでた。」
千鶴が来るまでの土方を思い出し、そして、今目の前にいる土方とを自分の中だけで大鳥は比べる。
「でも、今はこうして僕は君で遊べるし、僕が見たこともない柔らかな表情もするようになったし、
纏ってる雰囲気は別人みたい穏やかなものになった。例えて言うなら雪解けした春かな。」
春、その単語に僅かに反応した土方は、そこで初めて筆を置いた。
「だとしたら、千鶴は太陽といったところか。」
「うん、そうだね。」
「だから、雪村君が傍にいない君は実に寂しそうなんだよ。」
そうまで言われては土方も否定することはしなかった。
「ああ、違いねえな。」
苦笑した土方は、目線だけを千鶴が休んでるだろう土方の寝室に送る。
「君が得たものは大きいね。」
「あんたに言われるとはな。でもその通りだ。一度は突き放して、それでも海を越えて
追いかけてきたあいつをこの腕に抱きとめて、思い知ったよ。千鶴の存在のでかさと大切さをな。」
あんな小さな体で、と呟かれた声を大鳥はしっかりと拾っていた。
土方の傍にいたいという一心だった千鶴は、見た目の華奢さ以上の大きさと強さを感じた日があった。
偶然、二人の別れの場に居合わせ、千鶴に手を差し伸べた日。
辛い道のりが待っていようとそれでも土方の傍にいたいのだと、涙をこぼしながら自分に訴えた、少女。
土方の言う通り、その存在は土方にとっても、とても大きいものなのだ。
蝦夷の地にやってきた千鶴を受け入れた、土方の態度は
とても優しいものとなり千鶴に愛情を注ぎ始めたように見える。
大切な人として、時にひっそりと苦悩しながら、
もう二度と手離せないかけがいのない人として、その心にいる。
「大鳥さんには感謝してる。」
「僕はいつだって正しい判断しかしないからね。どこかの誰かさんと違って。」
向けられた視線に、誰のことを言っているのかはわかる。
「あんたの場合、余計なお世話だがな。」
大鳥に意趣返しをした土方が、突然立ち上がった。
そのまま、寝室の方へと歩き出した。
「悪い、大鳥さん。今日はここまでだ。」
大鳥がわけがわからずにいると
「千鶴、起きたのか?」
気遣う声が、指揮官から一人の男のものと変わっている。
土方の視線を追えば、確かに今、休んでいたであろう千鶴が出てきたところだった。
真っ先に察した土方はさすがというべきか。
「まだ仕事が残ってたんだった、僕は失礼するよ。」
「ああ悪いな、大鳥さん。」
大鳥は、申し訳なく謝る土方に小さく笑って部屋を出ていった。
きっと、それまで書類を仕上げる為に使っていた手を、千鶴へと伸ばし優しく包み込んでいることだろう。
Title:お題サイト「雪華」様よりお借りしました。