「あの時もし俺が本気で追い返してたら、おまえはどうするつもりだったんだ?」
「あの時…ですか?」
どうやら質問がよくわからないらしく、大きな目を更に大きくして首を傾げる。
あどけなさを感じる仕草だが、匂い立つ色香を感じずにはいられない。
「千鶴が大鳥さんの辞令持って俺のとこに来た時だよ。」
「あぁあの時ですか。」
千鶴は柔和な表情を見せる。
「信じてましたから。」
さらりと言われた一言に驚いた。
あの俺を信じてただと?
「歳三さんのこと。それに、なんて言われようと
出て行けと言われても、私は貴方の側にいるって決めてたんです。」
さすが江戸の女だ。
「でもどうして今頃?」
「いや、なんとなく疑問に思っただけだ。」
あの時、俺はこいつが思うような男じゃなかった筈だ。
生き急ぎ死に急ぎ、仙台で振り払って置き去りにした男だ。
でもただ一つわかったのは千鶴に惚れていたことだろう。
千鶴があの時、あんな行動取っていなかったら
こんな幸せな日々はなかったかもしれない。
「千鶴、ありがとな。」
「それは私のセリフです!」
素直に礼を述べれば、千鶴が慌てたように言う。
「歳三さん?」
機微を敏感に感じ取ったのか、千鶴が俺の名を呼ぶ。
いつ終えてもおかしくない俺の命。
千鶴に支えてもらうばかりの俺が、残せるのはなんだろうか。
これから先どのくらいこうしていられるかもわからねえ。
もしかすると終わっていたかもしれないのだ。
その目に涙を溜めて、凄い剣幕で俺を引き止めた。
「大丈夫ですよ。」
ひんやりとした感触に、千鶴の手が俺の頬に触れたと知る。
一回りほど小さな手に自分の重ねる。
「何がだ?」
「歳三さんに決まってるじゃないですか。」
千鶴が少し頬を膨らませる。
あどけなく可愛らしい。
そのまま手を掴み、自分の腕の中に閉じ込める。
小さな悲鳴が聞こえたが、千鶴は拒否することなく腕の中に落ち着く。
「なぁ千鶴…。」
抱く力を込める。
「俺と行き足掻いてくれるか…?俺と生き抜いてくれるか…?
おまえとならいつまでも生きていられる…。」
掠れた声に感情が表れてしまう。
千鶴の俺の着物を掴む手がキュッと震えた。
「当たり前です。それが私の願いですから。」
妙に耳馴染みのいい声が、俺の緊張を柔らかく解していく。
千鶴を見れば泣きそうである。
目の淵に指を動かし涙を拭う。
「なんだ俺の代わりに泣いてんのか?」
「はい。」
自分でも涙を拭いながら千鶴は微笑う。
心がスッ…と軽くなるようだ。
「そうか、悪いな。そこまでしてもらってよ。」
「本当ですよ、誰かさんが甘えてくれないから。」
全く江戸の女には…いや、千鶴には敵わねえ。
そうして必然的に上目で睨む様は、ぐっとくるものがある。
「おまえは布団の中で甘やかしてやるよ。」
「なっ…!」
「そんな風に見られちゃ。」
指を添えて頤を上げる。
「押し倒したくなるだろうが。」
抗議の声が聞こえる前に唇を重ねる。
いつか大鳥さんが言ってた
『君は雪村君をベタ惚れだよね』って言葉に今なら肯定してるだろう。
たっぷり吸い上げた千鶴は、顔も赤く目も少し潤んでいる。
「もう!なんてこと言うんですか!」
「本当のことだ。なんだ?
嫌とは言わせねえぞ?誘ったのは千鶴だからな。」
「嫌なわけないじゃないですか!誰も誘って…ん…。」
なぁ千鶴、おまえは知らねえだろう。
おまえがどれ程の女で、俺を支えてるか。
二度目の口付けは一度目より深くなった。
「歳三さん。」
息を整えながら、それでもしっかりと俺を見て言う。
「今、幸せですか?」
「ああ、幸せ過ぎて怖いくらいだよ。」
「私もです。」
花のような笑顔を満面に咲かせて笑う。
「貴方がいるだけで。」
「俺も千鶴がいる。」
先の未来はわからない。
ふいによぎる不安はどうしようもない。
あの日もう一度交わったのも運命だったのかもしれねえな。
最愛の人と暮らす日々がこんなにも幸せで、儚いものだと知る。
残り少ない人生、千鶴と共に。