ぼんやりと遠く馳せていた意識が、愛しい人に向く。
「千鶴。」
歳三さんが物憂げにしていた。
「すいません。」
数歩先にいる彼に慌てて追いつくと、ふわりと肩を抱かれた。
「どうせお前のことだ。くだらねえことでも考えてたんだろ。」
「歳三さんにはお見通しですね。」
「なに、お互い様だろう。」
「そうでした。」
今はそんなくだらないことすら愛しい。
だからそっと、歳三さんの体に腕を回す。
途端にぐっと抱き寄せられる。
「千鶴から甘えて来るなんて珍しいじゃねえか。」
揶揄する嬉しそうな彼の声が、心地良く転がっていく。
「いつももっと甘えろと仰ってるじゃないですか。」
「まだまだ足りねえよ。」
私達の前を薄紅の花弁が、一枚、また一枚と、はらりはらり舞っていく。
京の桜や江戸の桜もよかった。
でもそれ以上に二人で見る函館の桜が綺麗だった。
そして、お前に見せたいものがある、そう歳三さんに誘われてきた
この場所の桜は、どうしてか胸が締め付けられて、熱いものが込み上げてくる。
「俺達みてえだな。」
呟く彼の声に堪えきれずに涙が伝う。
寄り添う日本の桜の木が、溢れる桜を咲き誇らせて幸せそうにしていた。
ふと途切れた窪地に現れたのが、青い空にこの桜の木だった。
他には何もない。
まるで私達のようだと…そう、思えてならなかった。
「千鶴。」
穏やかな声はまた涙を誘う。
覗き込まれた紫の瞳は、やっぱりひどく優しくて。
「我慢するな。」
大きな手が私の涙を拭って行く。
次には先より力一杯抱き締められた。
頭に添えられた手がポンポンと叩く。
「うっ…。」
止まらない。
大好きで。
愛しくて堪らない。
幸せで、きゅうっと胸の奥が切なくなる。
ただただ、愛しかった。
私を抱きしめてくれる腕の温もりも、生きる刻を刻む
心の臓の拍動も、存在も、共に過ごす日々もたった一秒すら。
「大好きです…!」
幸せすぎて、満たされて。
歳三さんへの想いばかり溢れてくる。
「俺もだよ、千鶴。」
少し低く真っ直ぐな声が私を撫でる。
いつかこの二本の桜を、一人で見る日が
来るのだろうかと、一瞬にして怖くなった。
二本の桜を見た時に、今あるものが愛しくなった。
「千鶴の想いは痛いほど伝わってくるぜ…。
安心しろ、俺はすぐには逝かねえから。
だってこんなに愛しい女と、こんなに幸せな暮らしをしてるんだ。」
幸せ過ぎて泣くなんて思わなかった。
満開の桜の木のように、ずっとこの人と一緒にいたい。
「私もずっと一緒いたいです。」
「ああ、一緒だ。泣き虫のお前を置いて逝けるかよ。」
腕に入っていた力が緩む。
そっと両頬を包まれ、凪ぐ瞳を仰ぐ。
止まらない涙は、歳三さんの手に吸い込まれた。
「置いていかないでください。ずっと…離さないでください。」
二本の桜のように、片時も離さずに。
「離さねえ。いや、離したくねえ。俺だって離れたくねえよ。」
柔らかく歳三さんが微笑む。
「はい…!」
歳三さんの想いが嬉しくて、泣きながら笑えば、彼の笑顔がまた深くなる。
それから近付く距離に瞳を閉じた。
触れて少しして離れて行く。
額だけ合わせて笑い合う。
きっと私の向こう二本の木も笑ってる。
「千鶴、愛してるよ…。」
春の風に優しい彼の声が乗る。
この場所にお前と来たかったんだと、少し
照れ臭そうにした貴方の腕の中、ピタリと寄り添って見た景色。
一生忘れない桜の景色だった。
春がくる度思い出し、足を運ぶ。
優しい声が宿る場所。
Title:「群青三メートル手前」様 彩日十題04.