ただ長い間眠り続けていた気がする。
「土方さん……。」
千鶴の必死なその声に、何度かおぼろげな覚醒繰り返したようにも。
だからか、その瞳一杯に涙を溜めていた千鶴の表情をやたら覚えている。
暫くして、漸く意識を取り戻した俺は、千鶴の手を借りながら、どうにか半身を起こすことが出来た。
どうにも動かねえこの体がもどかしくて仕方がねえが、
命にかかわる傷を負ったのだと、そんな体が教えてくれた。
「土方さん…大丈夫、ですか……?」
怖ず怖ずと不安げに俺の顔を覗き込む顔に、幾つもの涙の跡と疲労の色を見付けた。
いつ意識が戻るとも知れない重傷の俺を、こいつは朝も夜も関係なく看病し続けてくれたのだろう。
「千鶴…。」
名前を呼んだだけなのに、大粒の涙を瞳から千鶴は流していた。
「千鶴?」
「このまま…もしもこのまま目を覚まさなかったらって……
心配で…怖くて…………だから、よか……ったぁ…。」
安堵の嘆息にも似た、千鶴の声がする。
千鶴の頬に触れて、涙を拭う。拭っても拭っても、涙はこぼれ落ちてくる。
俺は、こいつを何度も泣かせてきた気がする。
気が強く、幾つもの戦場を経験してたくましくもなり、俺に意見するようにはなったが、
すぐに泣くところだけは何も変わらねえんだよな。
「すまんな。俺はまた…おまえを泣かせたようだ。」
千鶴は首を振った。
「私の方こそいつも泣いてばかりで…」
「構わねえよ…ただ、せっかく俺が目を覚ましたんだ、ちったあ笑いやがれ。」
精一杯の軽口も、さすがに意識を取り戻したばかり、いつもの覇気はでない。
それでも、今の千鶴には効果があったようだ。
「あ…そうですね。」
ふわりと笑った。
その傍から大粒の涙が一粒。
「ったく…。笑うのか泣くのかどっちかにしろ。」
「あ…。」
俺に言われて、笑いながら泣いたのに気付いたのだろう。
慌てて涙を拭おうとする。
その様子から俺がどれだけの傷を負ったのかが、安易に想像が付いた。
だから、腕を精一杯伸ばして、俺の体を支えながら泣く千鶴の体を抱きしめる。
意識を取り戻したばかりの俺がこんなことをするとは思わなかったのか、驚いたように息を呑む。
それも束の間、肩を震わせて泣き出した。
本当によく泣くヤツだ…。
「心配、かけちまったな。」
優しく声をかければ、小さく首を振る。
「土方さんが目を覚ましてくれたから、もういいんです。」
らしい言葉が返ってきて、思わず笑みをこぼしてしまう。
……と、その時初めて、千鶴がいつもと違うことに気が付いた。
その小さな体をよく見れば、女物の着物を着ているじゃねえか。
千鶴によく似合う薄紅の桜だ。
髪も、今までみたいに結い紐高く結ったんじゃなく、うなじの辺りでリボンで結っていた。
「あ、あの…土方さん……?」
いきなり黙り込んだ俺を不安げに見上げる。
「あぁ…いや…女物の着物、着てるんだって思ってよ…。」
きちんと答えたことにどこか安堵したようだ。
きっとまだ不安なんだろう。
「あ…はい…。どこか変でしょうか…。」
少し恥ずかしそうにする様子は、あまりにも
「綺麗だ」
「……!?」
思わず、素直な感想を口にしてまった俺は千鶴より早く、視線を逸らす。
千鶴も千鶴で、俺の腕のなかで照れてオロオロしている。
ちらっと覗き見れば頬に朱が挿していた。
まだ京にいたころ、千鶴が女物の服を着たことがあったのを思い出した。
一度はおいらんの姿で、二度目は浴衣の姿で。
おいらんの着飾った姿もよかったが、浴衣姿を見た時に、
町娘のような格好の方が似合うと思ったもんだ。
「よく似合ってるぜ。」
もう一度言うと、微かに顔をあげた。
相変わらず、顔は赤いままだが。
「あ…ありがとうございます…。」
恥ずかしいのか、声がしりすぼみになってやがる。
千鶴の傍に帰ってきたのだと、しみじみ思う。
「土方さん、お辛くないですか?まだ意識が戻ったばかりなのに、
こうずっと体を起こしてらっしゃるの。」
確かに辛くないわけないが。
今はこうして千鶴の温もりに触れていたいと思う。
この手を離すつもりもなかった。
とはいえ、半分はこいつに支えてもらってんだからな。
「千鶴が辛くなけりゃ、もう少しこのままでいてえんだが…」
千鶴が辛いなら無理に続けることはしたくねえし。
「わ、私なら大丈夫です。」
「ずっと看病してくれてたんだろ?無理はするなよ。」
「あ、えと…。」
千鶴が何かを言い淀んでいる。
「なんだ?」
先を促してやると、消え入りそうな声で続けた。
「あと…私ももう少しこのままでいたいです…」
「辛くなったら言えよ。」
「それはこっちの台詞です。」
いつもの調子が戻ってきたところで、千鶴に聞いた。
「あの後、どうなったんだ?」
島田に大鳥さんに榎本さん、新選組の仲間……戦いは終わったのだろうか。
千鶴はすぐには答えなかった。
恐らく俺達旧幕府軍は負けたのだろう。
元より、負け色が強かった戦だ。覚悟はしていた。
「土方さんが眠られてる間に、箱館戦争は終わりました。」
言葉を選ぶようにしながら、千鶴は説明してくれた。
弁天台場、五稜郭の降伏。
新政府軍の箱館掌握。
俺が死んだことになっていること。
敗軍の将となった大鳥さんや島田らの処分。
最後まで話を聞き終わったところで、俺は自然と体が動いていた。
「土方さん!!」
千鶴を離し、立ち上がろうとした。
悲鳴にも近い千鶴の声と、俺を支えたままだった千鶴の体が、俺を引き止める。
「土方さん!ダメです!!」
「俺は…新選組局長の土方歳三だ。俺も敗軍の将だ…。」
急にガクッと力が抜けて、千鶴の腕の中に崩れ落ちた。
目覚めたばかりのこの体では、一人で立ち上がることすら敵わない。
「千鶴、連れていってくれ。」
「出来ません!その体で行かれてどうするおつもりですか?」
「俺だけこうして生きてどうする。責任は俺にだってある。」
「土方さんは間違ってます!」
一際強い口調で、千鶴は言い放った。
俺が、間違ってるだと……?
「確かに、土方さんは新選組の局長でした。土方さんがおっしゃりたいこともわかります。」
「だったら――…」
「でも、もう、新選組局長の土方歳三は死んだんです。」
思わぬ言葉に、目を見張る。
「今、ここにいるのはただの土方歳三なんです。」
「どういう――…」
「どうして大鳥さん達が土方さんを死んだことにしたと思いますか?
そうまでして守ろうとしたものはなんだと思いますか?」
千鶴の目に再び涙がたまり、頬を濡らす。
あぁ俺はまたこいつを泣かせてしまった。
「新選組の誠の旗です。」
その言葉にはっとした。
「大鳥さんは弁天台場で土方さんに話されたことを、ここでもう一度話されていました。
大鳥さんも島田さんも最後まで誠の旗を掲げていたそうです。
降伏すると決めた時、土方さんさえ敵に渡らなければ、新選組の誠の旗は最後まで折れることはないと……」
弁天台場での大鳥さんや島田との会話を思い出す。
そして、俺に新選組の誠の旗を託し、
死んでいった近藤さん、総司・斎藤・源さん・山崎・平助・山南さん、袂をわかった新八・原田。
俺が生きてる限り誠の旗は守り続けられる……
「ったくよぉどうしてどいつもこいつも俺に最後まで重い荷物を背負わせたがる…」
「土方さんは、誠の旗そのものなんです。だから、だから………大鳥さんは土方さんを死んだことにしたんです。
生きてほしい、と。死なせるわけにはいかないんだと。
そして、土方さん、もう殆ど羅刹の力はありません…残る命を生きてください……それに…」
ふいに言葉が途切れ、俯いた。
「千鶴?」
千鶴は、意を決したように、まっすぐに俺を見た。
涙で溢れた瞳で。けど、そこにあるのは、傷付き悲しみの色だった。
間違いねえ。仙台で、ついてくるなと突き放した時と同じ瞳だった。
心が苦しくなる。こいつにとってあれ以来トラウマのようになっちまったんだな…。
「あの時の言葉は嘘だったんですか?
逃げようたって離さないから覚悟しとけって生きたいと言ってくれたあの言葉は嘘だったんですか?
また置いくおつもりですか?…もう置いて行かないでください………。」
本当はこいつを手離せるわけねえのに。
どんなことがあってもこいつを守りたいって思ったんだ。
今だって、俺が生きていたことを泣きながら笑って喜んで、
置いていかないでと涙をためて訴える、そんな姿見たら傍にいてえと思った。
しっかりと白くなるくらい千鶴は俺の着物を握り締め、離れんとしている。
「かなわねえな…」
千鶴に聞こえないくらい小さく呟く。
またこいつに気付かされた。
いつだって俺が迷い悩み苦しんでる時、正しいところまで導いて、支えてくれたのは、千鶴だ。
知らず知らずにおまえを求めていた。
そんな俺が離れられるわけねぇだろ。
「千鶴…。」
そっと頭に手を置く。
「嘘じゃねえよ。」
泣きじゃくる千鶴を、宥めるように優しく声をかける。
自然と声に甘さが出てることに気付いて、小さく笑う。
「千鶴。俺が新選組の誠の旗なら、まだまだ生きなきゃなんねぇんだろ?」
「土方さん……」
「わかったよ。もう言わねえし、二度としねえよ。だから、傍にいろ。いや、違うな。傍にいてくれ。
そして、おまえが誠の旗を見届けてくれ。
何しろよく考えたら今の俺は一人じゃ何も出来ねえしな。お前が必要だ。」
「私でいいんですか?」
「おいおい、さっきまであれだけ強く押していたヤツのセリフか?」
「だって…」
「俺はお前がいいんだよ、千鶴。何回も言わせんな。」
さすがに俺も照れてきた。
千鶴が照れているのが移ったのかもしれねえな。
「…はい。私も土方さんのお傍がいいです。」
「だったら好きなだけ傍にいろ。」
照れながらも笑った顔が素直に可愛いと思ってしまう。
さっきまでの強情さはどこへいったのかと不思議に思える笑顔だった。
やっぱりこいつには笑顔が一番似合う。
さっき無理に動こうとしたのがまずかったのか、さすがに体が辛くなってきた。
「千鶴。悪いが……」
「あ、横になりますか?」
「あぁ。さすがにまだ堪えるな。」
情けないと思いつつも、千鶴の手を借りて横になる。
「ゆっくり休んで下さい。」
優しい気遣いの声が聞こえる。
枕元にちょこんと座る千鶴を見ていたら、ある考えが浮かんだ。
「千鶴。一緒に寝ないか?」
「えっ…」
「横になってるとお前が遠いからな。」
ニヤリと笑って手を取ってやると、急にオドオドしだす。
「でも……」
多分千鶴が気にしているのは俺の体のことだろう。
「俺の体が心配なのか?だったら心配すんな。ここまで来たらあとは寝てりゃ治るだろ。」
「そんなこと言って……知りませんよ?死にかけてるんですから。」
「うるせぇ。」
「ふふ。」
千鶴が小さく笑った。
本当こいつにはかなわねぇよ。
「俺は寝る。千鶴。お前も休め。」
少し躊躇った後、千鶴は遠慮がちに俺の隣に横になった。
「世話をかけるな。」
「はい。しっかり言い付けは守ってもらいますから。」
「これだから江戸の女は………」
そうも言ってる間に眠気がやって来る。
「後でたっぷり聞きますから、今はおやすみなさい、土方さん。」
まだ涙が渇かない頬にそっと触れる。
「……――千鶴、」
「はい?」
「これからはこうして一緒に暮らしていこうな…」
俺は、千鶴がどんな反応したのか見る間もなく、眠りに落ちた。
その間際、
「はい。」
そう笑った千鶴の笑顔を見た気がした。
泣き顔よりも笑顔を焼き付けておきてえものだ。
新選組の土方歳三が死んだって言うんならよ、これからの人生、惚れた女の為に使うのも悪くねえ。
そのつもりだから、おまえは笑ってろ。
傷を癒した土方が、千鶴とつつましくもささやかで、
十分過ぎるほどの幸せを感じながら暮らすのは、もう少し先の話―――。
お題:恋したくなるお題 07. 今も昔も遠い未来もすぐ側に
お題サイト「恋したくなるお題」様よりお借りしました。