それは、ある意味では屯所内の重大事件だった。

土方が倒れたのだ。
倒れた――というと、少々大げさだが、体調崩したことには変わりない。
幹部連中にあっという間に知れ渡り、口々に感想を述べていた。

「へぇ土方さん倒れたんだぁ。じゃあ今日は静かに過ごせそうだよね。あの人も人間だったんだ。」

含みある発言をとても楽しげに述べたのは沖田。

「総司、なんだか楽しそうに聞こえるが。」

冷静に、且つ、淡々と沖田をたしなめるのが斉藤。

「やだなぁ一君。これでも僕は心配してるんだよ。だって、鬼の副長が倒れたんだからね。
ま、あの人のことだからそれでも仕事するって言い出しそうだけど。」
「だったら心配してるように聞こえるように言え。」
「まぁまぁ斉藤、いいじゃねぇか。総司も遊び相手がいなくて寂しいんだよ。」
「左乃、副長は決して総司の遊び相手ではない。」

沖田と斉藤の会話に入り込んできたのが原田。

「わかってるよ。例えだ、例え。
でもよ、総司、近藤さんがかなり心配してオロオロしてたそうじゃねぇか。近藤さんの前でそれ言うなよ。」
「わかってますよ、そんなの。」
「で、その近藤さんは?」

口にご飯を頬張りながら藤堂が話題に上がった人物を探す。

「平助、食べるか喋るかどっちかにしろ。近藤さんや副長がいたらとっくに怒られているぞ。」
「一君って本当真面目だよね。」
「近藤さんなら副長のところへ行ってらっしゃる。」
「近藤さんも心配だろうねぇ。」
「土方さんも面白くないなぁ。」
「総司…。」


その頃、土方の部屋では、近藤と山崎と千鶴が集まっていた。
沖田の読み通り、仕事を続けようとしていた土方を近藤が説得したばかりだ。
土方の主張は、というと「ただバランスを崩しただけだ」ということらしいが、
それが嘘だということは誰の目に見ても明らかで。
近藤と山崎と千鶴によって、土方は半ば強制的に褥に寝かせた。

「トシ、今日は休め。おまえの体が心配なんだよ、俺は。」

懇願するような近藤に、さすがに仕事をするとは言えない土方は、

「わかったよ、近藤さんにそこまで言われたらいやだとは言えねえし。」

と、折れるような形で休むことを承諾したのだ。

「で、どうだ、山崎君、トシの様子は。」

近藤は、土方の様子を診ていた山崎に尋ねた。
心配そうに眉が下がり、見ている方が心配になるくらいだ。

「過労だと思われます。今日一日安静にしていれば大丈夫でしょう。」

山崎の言葉に、近藤は安心したように大きなため息を吐いた。

「それはよかった。トシは働きすぎなんだよ。ここ2、3日寝てなかったのだろう。」
「副長、もう少しご自分の体を労わってください。」
「大げさなんだよ。」

最後にはむくれたようになってしまった土方は、千鶴の知る鬼副長のそれではなく、
とても珍しいものを見たような気がした。

「大げさにもなります。少しはこちらの側のことも考えて下さい。」
「そうだ、山崎君の言う通りだ。」
「うるせぇ。仕方ないだろうが、仕事が山積みなんだからよ。」

さすがにいつものような覇気がない。
山崎が千鶴を見た。

「すまないが、雪村君。」
「はい。」
「副長に消化にいいものを作ってきてくれ。」
「わかりました。」

千鶴はパタパタと土方の部屋を出て行った。
ほどなくして、千鶴がお粥を手に戻ってきた。

「お粥お持ちしました。」
「いい匂いだ。」

近藤が目を細める。
山崎と近藤は、土方がお粥を受け取ったのを見届けると部屋を後にした。

「副長、しっかり食べて今日はゆっくり休んで下さい。」
「みんなには俺からうまいよう言っておくから気にしないでくれ。」

近藤は、去り際、同様に部屋を出ようとしていた千鶴を呼び止めた。

「雪村君は残ってくれ。」
「えっ?!」
「はぁ?!」

反応したのは千鶴だけでなく、今まさにお粥に手をつけようとした土方だった。

「トシが仕事をしないように見張っててくれ。今日の雪村君の仕事はトシの見張りだ。
俺や山崎君は仕事があるから出来ないしな。じゃ、後は頼んだよ。」

豪快に笑って、近藤は山崎と共に部屋を後にし、後には土方と千鶴が残された。

「ったく近藤さんも余計なことしやがる。」
「それだけ心配なんですよ。」
「わかってるさ。」

出て行けと言われなかったことに、千鶴は内心安堵して、土方の傍に座った。
土方は、近藤の言葉によって止めていたお粥を食べ始めた。

「うまいな。」

今は体の調子が悪いからだろうか、普段は聞けないような素直な台詞が土方の口から零れた。
表情も、少し顔色も悪く、気だるさは見えるが、いつもの眉間の皺がなく穏やかにも見える。

「あ、ありがとうございます…!」
「適当にしてていいぞ。」
「え?」
「逃げやしねえよ。肩肘張ってそこにいなくてもいいってんだ。
近藤さんの命だからな、さすがに追い返せねえが、おまえは自分のことでもやってろ。」

お粥を食べ終えた土方が、ゆっくりとした所作で褥に横になる。

「大丈夫ですか?」

千鶴がそっと土方の体を支える。

「すまねえな。」
「いえ。」

布団をかけてやると、土方は千鶴に背を向けてしまう。

「そんなに見られたら落ち着いて寝れやしねえ。」
「あ…。」

その言葉で、千鶴は土方が少し照れているのだと知った。

「すいません。」
「おまえが謝ることじゃねえ。」
「私は少し離れたところにいますので、ゆっくり休んで下さい。何かあればすぐ言って下さいね。」



それからしばらくして、土方の部屋へ様子を見に来た近藤が見たものは、
言いつけ通り休んで眠っている土方と、その傍らですやすやと眠っている千鶴の姿だった。

そして、幹部達はと言うと、鬼のいぬまになんとやら。

「土方さんいないと平和でいいな。」
「総司、それはどういう意味だ。」
「やだなぁ一君、睨まないでよ。一君は土方さんが心配で仕方ないって感じだね。」
「当たり前だ。」
「じゃあ行ってくれば?」
「ゆっくり休まれている邪魔はしたくない。」

なんとも言えない言葉の掛け合いをする沖田と斉藤。

「総司、だからといって厄介ごとを仕掛けるのだけはやめておけ。」
「はいはい。」
「大事件だよなぁ、土方さんが倒れるなんて。」
「まったくだ。」
「今日一番の事件だよ。」

藤堂の言葉に、沖田以外の全員が重々しく頷いたのは言うまでもない。