次の日が休みになる週末になると、千鶴は土方の家に泊まりに来ていた。
この日も例外ではなく、千鶴の料理を堪能し、二人ゆっくり寛いでいた。
そこへ
ピンポーン
来客を告げるチャイムが鳴って、二人は顔を見合わせた。
土方の家に来客などそもそも珍しい。
それ以前に教師と生徒である以上、二人の関係は秘密だった。
だからといって対応しないわけにもいかず
「土方先生、私がいて大丈夫ですか?」
不安げにする千鶴の頭をくしゃりと撫でた土方は、
「週末のこんな時間に訪ねてくる奴は大概身内だ。
追い返すつもりだが追い返せなかったとしてもなんとかなるさ。」
と、言って、途端に不機嫌なオーラを纏い、玄関に向かった。
「なんだよ、この時間に。」
玄関のドアを開けたその先には、酒瓶を片手に笑顔な原田だった。
「土方さん、こいつを一緒に呑もうぜ。」
原田が土方の目の前に見せた酒の銘柄は、
なかなか呑むことが出来ない高価で有名なもの。
なるほど、原田が上機嫌なのもわかる。
だが、更に眉間の皺を刻んだ土方は、ドアを閉めようとした。
「断る。新八と呑め。」
「土方さん、そんなこと言わずにほらほら。」
原田は閉まり始めたドアを遮った。
見た目とは違い、保健体育を担当しているせいか、土方より力では押し勝つようで。
「いらねえって言ってんだろ!」
「いいじゃねえかたまには。せっかくうるさいのがいないんだしよ。」
「だからそいつと呑めって言ってんだ!俺よりも十分相手になるだろうが!」
玄関先の攻防は原田の勝ち。
「たまには土方さんと飲みたくなるんだよ。」
と言った原田は、
「おい原田!」
いつの間にか後ろからになった怒鳴り声を無視して、土方の部屋に上がろうとした。
そこに、土方の部屋には珍しいものを見つけて止まる。
「土方さん、もしかして誰か来てるのか?
これ、どう見ても女物だよな?しかもこっちはローファーか?」
振り返った原田が見たものは、バツが悪そうに視線を逸らして片手で顔を覆う土方の姿。
滅多に見れない土方のうろたえた姿に、原田は面白いもんを見た、と思った。
もしかして…と、原田が考えを巡らせていると
「土方先生…?」
静かになった玄関先に、何事かと思った千鶴が顔を出した。
「あ、千鶴、おまえ……!!」
「……原田先生!?」
「千鶴!?」
三者三様の反応……といっても、千鶴と原田は驚きの表情。
「な、なんで千鶴がここに?もしかしてとは思ったけどよ。」
途端に全身を朱に染めた千鶴と、
よく見れば目元を朱が挿したようにしている土方を見比べた。
元より察しのいい原田。その顔に笑みが浮かんでいる。
土方はそんな原田に、観念したように盛大なため息をついた。
「そういうことだ。くれぐれも原田」
「ああわかってる。さすがに俺も命が惜しいからな。
今日土方さんの部屋に来たのは俺だけだし、だから土方さんと俺しかこの部屋にいなかった。
ということで土方さん。」
原田は、持っていた酒瓶を土方に差し出した。
土方はそれを受け取り
「わかってるよ。上がれ。今度は俺の奢りだ。」
と言い、背を向けてしまった。
なり行きを見ていた千鶴に、
「大丈夫だ。」
と優しく伝え、
「悪いが、つまみなかんか作ってくれないか?簡単なもので構わねえからよ。」
と申し訳なさそうに頼んだ。
千鶴は漸く笑顔を見せ、
「はい。」
とキッチンへ駆けていった。
そんな二人を見ていた原田は、
「すっかり様になっちゃってんな。」
とからかっていた。
「理解のある俺でよかったな、土方さん。」
コップを取りにキッチンに行っていた土方がリビングに戻ると、原田はそう切り出した。
原田のコップに酒を注ぎながら土方はため息混じりに答えた。
「まったくだ。」
これが永倉や平助なら大騒ぎになって一番漏れる。
沖田や薫ならネチネチからかわれるだろう。
斎藤は、冷静に受け止めながらも一番怖い。
その点、原田なら一番まともに思えるが、
原田でもまた当分このネタでからかわれるのは目に見えていた。
「で、土方さん。」
土方のコップに注ぎ終わった原田が、にこやかに悪戯心を浮かべている。
「なんだよ?」
「千鶴とどこまでいってんだ?」
一瞬固まった土方をよそに、やっぱこの酒美味えな!と原田はと酒に満足している様子。
手酌をして土方の答えを待っている。
「ヤったのか?」
「……まだだよ。」
ぼそりと呟いて、土方は酒を流し込んだ。
美味いな、飲み終えた土方からは、原田と同じ感想が漏れたが、
立場の違いからかその顔には眉間に皺が刻まれ、とても美味しい酒を飲んだ表情ではない。
「まだ!?あの土方さんがかあ?」
土方の答えに原田が驚いて声を上げる。
土方は慌ててキッチンにチラと視線をやると、
「原田声がでけえよ!」
と慌てて咎める。
だからいやだった、と言いたいのか、土方の顔は恐ろしく不機嫌だ。
不機嫌、というよりは、やはりどこかバツが悪そうに見える。
「ああ悪い。つい、さ。
だってさーあの土方さんがまさか手を出してねえとは思わなくてよ。」
「おまえに言われたかねえよ。」
土方の恋愛遍歴は、とても華やかだ。
古い付き合いの原田は、若かりし頃の盛んだった土方を知っている。
それだけに驚きの事実だったんだろう。
「でもキスとかギュッと抱きしめたりはしてんだろ?」
原田が土方のコップに注いでやる。
そして、自分の分をぐいっと飲んでいく。
今度は土方が原田に注いでやった。
「当たり前だ。」
土方は更に不機嫌になったかのようだ。
「じゃあなんでだ?」
「さすがにまだ教師と生徒の立場だろ?」
コップを傾けながら聞いていた原田は、納得したかのようだ。
「あんた、本当真面目だよなぁ。
ま、それだけあいつを大事にしてるってことでもあるのか。」
しみじみと土方に言葉を投げかける。
「まぁな。」
短い土方の言葉に全て込められていた。
でもよ、と原田は続ける。
「よく我慢出来るな、土方さん。」
感心しきった原田の声。
土方は今日何度目かしれないため息をついた。
「俺の理性総動員だ。」
こぼれた言葉に原田が笑い出す。
「あんたの口からそんな言葉を聞くことにはなろうとはなぁ。」
「原田…!」
そこへ、千鶴がおつまみを手に戻ってきた。
「お待たせしました。」
「お、美味そう。」
千鶴のおつまみに原田は目を輝かせた。
千鶴は土方の隣にちょこんと座った。
それだけで、土方の表情が和らいだのを原田は見逃さなかった。
が、千鶴がいる手前か、何か言うことはなかった。
酒を飲み、千鶴が作ったおつまみに手を伸ばすと、
原田は含みを持たせるような視線を土方に送った。
「千鶴、料理上手いんだな。
土方さん、あんたこんな上手いメシいつも食ってんのか?羨ましいぜ。」
原田の視線の意味に気付いていた土方は、
千鶴の腰に手を回し、自分の方へと引き寄せる。
「女の作る上手いメシが食いたきゃ他当たってくれ。こいつはやらねえよ。」
「ひ、土方先生!」
千鶴は頬を染めて慌てている。
「妬けるねえ。」
すると土方は反撃だ、と言わんばかりに口の端をニヤリと上げて原田に返した。
「原田、おまえは女に困らないんだろう?
おまえの為に上手い料理を作ってくれる女なんざ、結構いると思うが?」
「土方さん、千鶴の前でそれ言うか?」
今度は原田が慌てる。
「どういうことですか?」
「千鶴もそれを聞くな。」
「原田は女にモテんだよ。なんせこの顔でこの性格だろ?
あちこちに女がいるんだ。いつぞやか新八がぼやいててな。」
「何をですか?」
「世の中は不平等だ!
原田が囲ってる女一人くらい俺によこしてほしいもんだ、ってな。」
「やっぱり原田先生モテるんですねー。」
千鶴に純粋にそう言われ、まんざらでもない様子で
「あ?ま、まぁ。」
と原田は大人しくなった。
「そういや、その新八はどうした。酒と聞きゃあいつ喜んで相手するんじゃないか?」
土方の問いに今度は原田がため息をついた。
「誘ったんだが、
途中から馬の尻おっかけるのに夢中になりやがったから、ほったらかしてきた。」
「ああ……懲りねえなあ、あいつも」
情景が目に浮かぶのか土方は、原田に同情した。
「馬のお尻って?」
会話についていけず、聞き役に徹していた千鶴が質問した。
「競馬だよ、競馬。」
原田がげんなりと答えた。
「競馬、ですか。」
永倉の競馬好きは学園内では有名だった。
競馬中継を聞き、
負けたと叫んでは土方に一発を食らう、それが職員室の日常風景になっていた。
ただ、永倉は競馬に勝ったことが一度もない。
負け続けているに限らず、競馬に賭けては食いぶちをなくして嘆いている。
「あいつも数学教師なら、確率が悪いってことはわかってそうなもんだが。」
土方が降参だと言わんばかりに肩を竦める。
「だな。」
原田も土方に同意した。
土方のコップが空になっていることに気付いた原田は、
「土方さん、あんま飲んでないんじゃないのか?せっかくの上手い酒だってのに。」
「これだけ飲めば十分だよ。それに千鶴がいるんだ、あまり飲ますな。」
その言葉に再び原田の顔が輝く。
土方は、みっともない姿を見せたくない、とでも思っているようだ。
「いいじゃねえか。自宅で飲んでるんだし、介抱してくれる女がいるんだしよ。」
原田はさっさと土方のコップに酒を注ぐ。
訳がわからずにいる千鶴に原田は、そっと教えてくれた。
「土方さん、酒が弱いんだよ。飲めねえんだ。」
「そうなんですか!?」
「原田てめえ!」
「隠すようなことじゃないだろ。」
「だからってわざわざいうことでもないだろ!」
ほら飲めよ、といきり立つ土方に原田は酒を勧める。
なみなみ注がれた酒を無下には出来ず、土方は口をつける。
「原田先生は強いんですね。」
原田は、土方を遙かに凌ぐ量を飲んでいる。
新八も強いぞ、と言いながらコップを空け、手酌をしては土方に酒を勧めている。
どうやら原田は土方を潰す気らしい。
何度そんな場面が繰り返されたか、やがて
「おい、原田。」
1トーン低い土方の声が響いた。
千鶴の肩がビクっと揺れた。
原田は、眉を微かに動かしただけで動じていない。
「どうしようってんだ?」
「どうもしねえって。ただ酒飲んでるだけだろ?」
「いつまでいるつもりだ?」
恐る恐る土方を見上げた千鶴が見たものは、目が据わった土方。
更に低くなった土方の声に原田がしまったと顔を顰めた。
「別にそんな遅くまで邪魔するつもりはねえよ。ほどほどしたら帰るってば。」
「そうか?そもそも原田、」
「土方さん、ひとまず寝ようじゃねえか、俺も帰るからさ。」
何かを言いかけた土方を原田は思いっきり遮って、なだめ始めた。
千鶴の視線を感じた原田は、口だけで、やばいと告げた。
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