夏―夏祭り[前編]を読んでからどうぞ。


それから数日、祭りの日を迎えていた。
日が長い夏の日の、それでも昼間の光から夕方の光へと色を変え始めた頃合、
それぞれが浴衣へと着替えていた。

「すいません、お待たせしました。」
「おう。」

千鶴の声がかかり、土方がいる部屋の障子が開く。
どこか控えめなその声の後に、土方があの日選んだ浴衣を着た千鶴が現れる。
色の白い千鶴の肌によく合う淡い黄色がかった白に、
夏の日の空のような千鶴によく似合う鮮やかすぎず、
かといって抑えすぎでもない藍の矢羽根柄がさりげない感じで色を彩って、
そこに紅に近い桃色の撫子が咲く浴衣に、撫子の色に合わせて薄桃の帯。
いつもは後ろでリボンで纏めているだけの髪も、髪飾りで一つに纏められてる。
あらわになった透き通るような白い項は、普段は見れない千鶴の魅力を引き立たせ、土方をそそる。

「あの…」

土方は千鶴に見惚れていた。
こんなにも綺麗に、自分の想像以上になったものだと。

「あ、ああ悪い。」

千鶴の声に我に返る。
それから整ったその顔に、綺麗な嬉しそうな微笑を浮かべた。
佇んでいる千鶴の元へ徒歩を進め、片方の肩に手をかけ、
土方は隠すものの何もない項にうやうやしく唇を寄せた。

「あんまりにも千鶴が綺麗でつい見惚れちまった。」

隠すこともなく、飾ることもなく、真っ直ぐに素直な感想を千鶴に贈れば、
優しい口付けもあって、あっという間に耳まで赤くさせ、項も微かに色づく。
自分を見る千鶴の瞳に、女として色を見つけた。
潤んだ瞳が自分への愛情を灯して見上げるのだ。
今度はうっすらと紅を引いた唇に重ねた。

かくいう千鶴も、土方の姿に見惚れているのだ。
普段着に好んで土方が着ている紫の着物とは違い、どちらかといえば群青がかった
染めの濃淡が広がる浴衣には、織り込まれた淡い生成りの縦糸で色を添える。
同系の帯を締めた土方は、その綺麗な顔立ちをより綺麗に見せて、普段とは違う土方を見せている。
いつもの千鶴なら目をそらしているだろう。
しかし、なかなか目をそらすことなく、
言葉もなく土方を見ている千鶴に、さすがの土方も少々照れたようだ。

「おい、俺に見惚れてくれんのはありがてえが、さすがにそうも見られりゃ照れるな。」
「あ!すすすいません…!」

千鶴は今度こそ土方から目を逸らした。
心臓が早鐘を打って仕方がない。
常々綺麗な人だと思っていたけれど、まさかこんなにも見惚れてしまうとは。

「千鶴、行くか。」

遠く風に乗ってお囃子が届く。
祭りは始まったようだ。
二人の間に流れていた静かな甘い空気は、僅かな間二人を包んで、土方の声に再び流れた。
千鶴の頬の色はまだ引いていない。
だが、満面の笑みでもって千鶴は土方に応じた。
土方と浴衣を着て夏祭りに行く、たったそれだけなのに、嬉しくて幸せで仕方なかった。

会場となっている神社に着けば、既に人に溢れていた。
規模は大きくないというが、この辺りの人々が集っているのだ。
お囃子の声と活気よく呼び込みを行う屋台の店主達。
皆笑顔で楽しげな声が祭りを賑やかにしている。
子供は綿菓子片手に駆け回り、
土方と千鶴のような若い二人は寄り添って、それぞれが祭りを楽しんでいる。

「わっ。」

人ごみの間を縫うように歩いていたのだが、さすがに行き交う人に押され、千鶴が声を上げた。

「ったく、しっかり握ってろ。」

すかさず土方が千鶴の手を握り、自分の隣に引き戻した。

「ありがとうございます。」

離れないように千鶴はしっかりと握り返せば、同じように土方も握る力を込める。

「おまえは本当目が離せねえよ。」

言葉の割りに、声はひどく優しく、愛しそうにする。
見てられない千鶴は、すぐに顔をあちらの方角へと向けてしまった。
それからゆっくりと屋台を見て回る。
境内中央では和太鼓を披露する場があって、お囃子はここから流れていたらしい。
時に足を止め、その様子を眺めて。

「土方さん、あれ食べたいです。」

千鶴が指したその先は、りんご飴が置いてある屋台。
土方は、わかったと千鶴と屋台へ歩いて行き、りんご飴を一つ買い求めた。

「ほらよ。」

土方から受け取った千鶴は、美味しそうにりんご飴を頬張った。
立派な女だというのに、こういう時だけは幼い一面が顔を出す。
そんなところも土方は愛らしいのだからたまらない。

「美味そうに食うよな。」
「美味しいですもん。私好きなんです、りんご飴。」

甘いものをあまり好まない土方だが

「ふーん、そうなのか。」

と頷いたかと思えば、りんご飴を千鶴の手ごと持って、千鶴とは反対側を口に含んだ。

「?!」

驚きのあまりりんご飴を握る力が弱くなるが、
土方が手を添えていたので千鶴はりんご飴を落とさずに済んだ。
顔を真っ赤にして金魚のように口をパクパクさせている。

「すげえ甘え。」

自分で食べておいて、眉間に皺を寄せて言い放つ土方。

「……あ、当たり前です!なんで食べるんですか。」
「おまえが美味そうに食ってたから。」
「だからってわざわざ食べなくてもいいじゃないですか、見ただけでも甘いってわかっているのに。」
「わかってねえな、そんな千鶴が可愛かったからに決まってんだろ。本当はおまえを食っちまいてえ。」

ニヤリと一つ笑みを浮かべて、なんでもないように土方は千鶴に言うが、
千鶴は何も言えず、どうしたらいいのかもわからず、目を逸らすことも忘れ、
耳まで赤く色づいたまま土方を見ることしか出来ない。
鼓動はこれまでにないくらい、大きくて速くて、息苦しさに眩暈すら感じてしまいそうだ。

「どうした?」

楽しげな土方の声が千鶴を動かした。

「もう!私が持ちません!」
「その時は俺がしっかり連れて帰ってやるから大丈夫だよ。」

くつくつと笑いながら、千鶴の手から自分の手を外し、それまでのように手を繋いで歩き出した。
千鶴の横顔も、どこか笑っているように見えた。

しばらく会場を歩いて、祭りを楽しんでいると

「千鶴さんじゃない!」

不意に後ろから女の人の声がした。
振り返れば、にこやかに笑う中年の女がいた。

「タエさん!」
「こんばんは。」

タエと呼ばれた女は、千鶴がよく使う商店の女将さんだ。
この土地に来た時から何かとよくしてくれ、今では馴染みの店となっている。

「千鶴さん、もしかしてあんたの旦那かい?」

千鶴の隣に立つ土方に目をやると、タエは千鶴に聞いた。

「あ、はい。」
「いつも妻がお世話になっています。」

土方がそう挨拶をすると、なかなか慣れない【妻】という
土方の口から出た単語に、やっと赤みが引いた頬をまた染める。
二人を見たタエがおおらかな笑顔で笑って、うんうんと頷いている。

「あんた達、お似合いだねえ。」
「ありがとうございます。」

答えたのは勿論、土方である。
そんなことないです、という言おうとした千鶴は、
土方の言葉にいたたまれないようなそんな気分になった。

「タエさん、浴衣せっかく頂いたのにすいません。」

千鶴がもらったのは、タエの嫁に出た娘・カヨが嫁ぐ前に着ていたものだったのだ。

「いいのよ。それにその浴衣、千鶴さんによく似合ってるもの。そっちの方が絶対いいわ。」
「土方さんに選んでいただいたんです。」

はにかんだ笑顔を見せながら、嬉しさの伝わる笑顔で、一度土方を見、タエに答えた。
そうだろうねえと納得した様子のタエは

「旦那に選んでもらった方が確かだよ。あんたの良さが良く出ているからね。」

と嬉しそうにしている。

「そういや、あんた達花火までいるつもりかい?」

話題を変えてタエが土方と千鶴に聞いた。
祭りがあることは聞いていたが、花火大会のことは聞いていなかったようで

「花火あるんですか?」

目を輝かせた千鶴がタエに聞き返す。

「知らなかったのかい?お祭りの最後に、
 まあこのお祭りみたいにそんな大掛かりじゃないんだけどね、花火があがるんだよ。」

その花火を合図に、この祭りは終わるのだという。

「せっかくだから見て行きなよ。とっておきの場所、教えてあげるからさ。」

口元に内緒だと人差し指を当てたタエは、土方と千鶴にとある場所を教えた。
若い頃、自分の旦那とよく行っていたというその場所は、
ここからそう離れていない、少し高台の場所。
何もないところらしく、そのおかげでタエ達以外来ることはなかったらしい。

「タエ!あんたを探してるよー!」

大きな声がタエを呼ぶと

「今行くよ!」

と負けじと大きい声で返事をすると、千鶴に向き直る。

「私はそろそろ行かなくちゃ。千鶴さん、最後まで楽しんでってね。」

と軽くウィンクをして二人の呼ばれた方へとタエは走っていった。

「千鶴、せっかくだから見てくか、花火。」

その姿を見送った後、土方が口を開いた。
タエと話していた時の様子だと、千鶴は花火が見たいだろうと土方は感じ取っていた。

「いいですか?」
「当たり前だ。千鶴と見てえしな。」
「はい!」



やがて祭りが終わるという頃、土方と千鶴はタエに教えてもらった高台に来ていた。
あまり離れてないというのに、
タエの言う通り人気がないせいか、祭りの賑やかさが遠くに感じていた。

「確かにここは穴場だな。」
「いいところを教えてもらいましたね。」

静かに、二人で花火を見ることが出来るだろう。
邪魔をする物は何もなかった。

「土方さん。」
「なんだ?」
「土方さんとお祭りに来れて凄く嬉しかったです。」

ずっと繋がれた手。
祭りの間、千鶴の笑顔は絶えることがなかった。
ふわりふわりと花を咲かせ、土方との時間を楽しんでいた。
土方も、千鶴に向ける柔らかな微笑が絶えなかった。
時に愛おしさを溢れさせ、目を細めながら千鶴を見ていた。

「ありがとうございます。」
「礼はいらねえよ。
 だからまた何かやりてえことだったりこうしてえっていうのがあったら、
 遠慮なく俺に言え。今回みてえに叶えてやる。」
「でも、私ばっかり叶えてもらうのは申し訳ないです。」

土方を支え続けた凛とした強さが宿り、千鶴ははっきりとそう言った。
自分も、土方にしてもらうように、土方の願いを叶えたいのだと。

「その必要はねえよ。俺の願いはもう叶ってる。
 千鶴の願いが俺の願いでもあり、千鶴の笑顔をすぐ近くで見てえってのが俺の願いだからな。」

その時、高い音が空に響いた。
音が消えた刹那、ドンっと空気を震わせる音がして、二人の顔を華やかに照らした。
照らされた千鶴の瞳が濡れた涙でキラキラ光る。
土方は繋いでいた手を離すと、千鶴の腰に回し、ぐっと抱き寄せた。
手を繋いでいた時に僅かにあった二人の隙間がなくなり、ピタリと寄り添った。
千鶴も、土方にその身を委ねるように、
体を預けたのをきっかけに、距離がさらに縮まり二人の唇が重なった。

「これからは二人で色んなことをしていこうぜ。」

思い出を一つ一つ重ねていくように。
まだまだ二人の暮らしは始まったばかりで、全てが初めてなようなもの。
次から次へと二人を照らす空の花が開いていく。
まるで、土方と千鶴を祝福しているように花火は上がっていた。