かつて書いた「ラストレター」の続きのようになりましたが、単体でも読めると思います。



その場所に一歩、足を踏み入れた時。
まるで、桜の薄紅の嵐が吹き抜けたような、強く儚く真っ直ぐに心に届いた衝動。
溢れた涙は、なす術なく流れ落ち、止まらない。

悲しいのではない。
苦しいのではない。
切なさを内包する、沢山の満ち溢れた幸せな想い。
言葉では言い表せない程の、
それこそ、涙が溢れて溢れて止まらないくらいの幸せな想い。
愛しいと魂が叫び、幸せだと魂が震える。 寄り添う人を見上げれば、見慣れた
困ったような優しい笑顔で私を抱き寄せて、涙を拭ってくれた。
いつもと同じそれも、いつもと違う何かを感じた。
あまりにも優しさに包まれた、温かな温もり。

「やっと来れたな。」
「はい…。」
「本当おまえはよく泣く。」
「すいません…。」
「構わねえよ。俺がいるんだからな。それに、」

不意に途切れた言葉。

「俺も今ばかりは泣きそうだ。」

穏やかな紫の瞳が、時折舞う花弁をキラキラと反射して映しながら、私を見下ろしていた。

「なんて言ったらおまえは笑うか?」

照れたように、器用に片眉を下げて笑いながら、大きな手が私の頭を撫でる。
その手に、武骨なゴツゴツとした、今よりはっきりとした感触を感じたのは気のせいだろうか。

「いいえ、笑いません。」

親指が目の縁をなぞり、私の涙を拭っていく。
笑顔が浮かぶのに、拍子にほろりと涙が落ちた。

「嬉しいです、とても。」

私も手を伸ばし、頬に手を置いた。
いつまそうしてくれるように、私も親指で彼の人の目の縁をなぞる。

「それ以上に幸せです。」

私の手が捕まった。
ぐっと引き寄せられて、距離が縮まる。

「千鶴。」

呼ばれた声は昔と変わらない。
だからまた、泣きそうになるの。

「おまえが似合うのは俺だけだ。」

また薄紅の風が吹く。
はらはら、はらはら、 祝福してくれてるかのように、花弁が舞う。

「もう一度、おまえと五稜郭の桜が見たかったんだ。」
「私もです、歳三さん。」

涙を拭う柔かな感触が降り、目元、鼻先、頬とおりてくる。
本当に一瞬の刹那、重なった視線に惹かれて優しい柔かなキスになった。
僅かに離れてクスリと微笑み合う。
もう一度ど触れ合って。
気が付けば涙が止まっていた。

「また来年もその次の年も、毎年、こうやって一緒に、五稜郭の桜を見に来るか。」
「はい。」

新しい始まり。
初めて出逢い、惹かれ合って、心の底から愛し、愛されて。
先に逝き、後に逝き、また出逢う再会の日を心待ちにし、再会を切に願い互いを探した。
そして桜の咲き誇る春の日に、鈴の音に導かれ私達は出逢った。
その鈴の音が鳴る。

「まだ持っていたのか。」

柔らかくその音を拾い歳三さんが訪ねる。

「当たり前です。これはかけがえのない宝物ですから。」

二人を別つあの日に、私の手に包まれた、菫と桜が並ぶ
浅葱の根付けを、小さな鈴の音と共に、歳三さんに見せる。
あの頃よりくたびれた、色の褪せた筈なのに、輝いて見えるのは何故だろう。
この五稜郭の地で、140年以上の時を経て、鈴が鳴る。
見上げれば咲き誇る桜の苑。
私の手が、根付けと共に歳三さんの手に包まれる。
また二人で、この地に来れたことに、止まった筈の涙が溢れる。
頬を伝い落ちた滴を根付けが受け止めて、

チリン…

小さく鳴った。
そよそよそよそよ風が吹く。
桜の咲き誇るこの大事な場所で、かつて叶わなかった、けれど新しい日々が始まる。

「千鶴、ずっと傍にいろ。」

重なる幸せに、自然と顔も綻ぶ。
また涙は零れるけど、もう気にはならなかった。
桜色と浅葱に染まる五稜郭のこの場所で、もう一度
この人と添い遂げられることをこの上ない幸せに感じられた。

「はい…!」

チリン…

祝福の鈴の音が、薄紅の舞う二度目の衝撃に動かされて、
函館の大地に吸い込まれるように響き渡った。
あの日の私達が遠く浅葱の向こうで幸せに笑っている気がした。
二人が共に生きた証の根付が笑う。
傍にある離れがたい温もりを抱き締めて。
寄り添い、悠久の時を経て、もう一度巡り合い、愛し合える喜びを噛み締めながら。